株式会社LIFULLに日本企業のこれからの行動指針を見る!

株式会社LIFULL/代表取締役社長 井上高志氏

 

「おウチ見つかる、ホームズくん♪」というCMでお馴染みの不動産・住宅情報サイト「LIFULL HOME’S」を運営している株式会社LIFULL

同社は、「公益志本主義」を旗印に、様々なステークホルダーへの利他を意識した、未来の経営モデルを先取的に実践する企業である。

ようやくわが国もコーポレートガバナンス・コードの導入により、企業は短期の利益追求よりも、投入資本をどのように価値に変え、中長期的に成長していくのかをステークホルダーにしっかり示す必要が出てきた。

 

井上高志社長は早くからこの問題の本質に気づき、すでに経営システムとして定着させている。これからの資本主義社会における日本企業の一つの範として参考にしていただけるのではないだろうか。

 

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やりたいことを将来、仕事としてやり続けるためには  プロチェス棋士 岩崎 雄大 氏

 

学生にとって、好きなこと、やりたいことと、それで将来、実際に食べていけるのかどうかは、キャリア選択の悩みの一つだろう。そこで、やりたいことをやり続ける方法を東大卒のプロチェス棋士 岩崎氏を招き学生に語っていただいた。

 

 

意外と知られていないが、世界のボードゲームの中では、競技者が7億人もいて、ダントツの人気を誇るのがチェスである。世界150か国に連盟があり、地域的な裾野も広い。

しかし残念ながら、日本でレーティング(将棋の段のようなもの)を持っているプレイヤーはわずか150人しかいない。岩崎氏はその上位に位置するプロであり国際大会に出場しながら、チェスを広めるために日々奮闘している。

岩崎氏とのチェスとの出会いは、中学時代のチェス部にはじまる。負けず嫌いの氏はここでチェスにのめり込む。そして、対局を重ね、技術を磨き、国際大会に出場するようになると、ますますチェスで身を立てようと思うようになる。

ところがチェス人口も少ないわが国ではプロチェス棋士という職業だけでは生活できない。そこで、もともと数学が好きだったこともあり、個人事業主として、岩崎理学系教育研究所を設立。教員や塾講師をやりながら、あるいはチェスの教材を作りながら、最もやりたい仕事であるチェスプレイヤーを続けることにしたのだ。

チェスに限らず、学生がやりたいことを将来貫き、継続するにはどうしたらよいのか?岩崎氏のキャリア形成方法は一つの参考になるだろう。

 

チェス棋士への道

 

岩崎氏のもともとのボードゲームとの接点は将棋だった。小学校の頃から、父親とよく将棋を指していたのだが、いつもボロ負け。その後、名門麻布中学に進学すると、将棋に負け続けた悔しさもあり、父親を超える分野はないか、また人がやらない分野はないかと探し、あえてマイナーなチェス部に入部した。最初はあまりパッとしなかったが、徐々に勝てるようになってきて頭角を現していく。

麻布中学は中高一貫校なので、そのまま高校に進学すると、1年生の時に、いよいよ海外に遠征のメンバーに選ばれた。やはり国際大会には何とも言えない高揚感があり、各国を代表する同年代のプレイヤーたちも近づき難いほど、殺気立っていて真剣勝負になる。このような檜舞台を経験するうちに、氏はチェスを軸にして、食べていきたいなと思うようになった。

そこで高校生時代から、チェスと両立できる仕事は何かを考えはじめたのだ。「自分は、人に教えたりするのはそんなに嫌いじゃなかったし、数学も好きだし、教員になるのが最適」と思い至る。そこで、教員免許を取るために東大の数学科に進学した。「ぶっちゃけ、母校麻布で数学の先生になったら一生安泰。しかも、チェスに強い生徒を育て国際大会に引率で出れる」とその時の心境を明かす。

ところが、教員は終身雇用なので枠が空かないとなかなか雇われない。「その時は枠がなかった。ちょっとタイミングを逃してしまいました。」と岩崎氏は笑う。

それで、大学院に行くかどうするか悩んだ結果、チェスの最強国ロシアへ修行に行くための留学を決める。学費とかもろもろ計算したら考えたらかかるお金は同じ。しかも、全くコネクションが無い状態でもなく、チェスの先輩でロシア語を学んでいた人もいてロシアに留学することにしたのだ。

留学でさらに腕を上げ、帰国後は、日本代表として国際大会に3回出場を果たした。「もし、麻布の教員になっていたら今の自分はなかったですね」と氏は振り返る。

 

直感を重視する生き方

 

岩崎氏は予想に反して、計画を立てることが好きではない。授業でも教えるための予習をしないほうがうまくいくらしい。「大体ここまでやればいいなとざっくり決めておく程度。どうも自分は直感派だ」と岩崎氏は言う。きちんと予習した方が上手くいく人と、直感で話した方が上手くいく人がいるそうで、実際、氏は準備するとあまり上手くいったことがないらしい。

準備するとやる気が出ないし、こんな質問したら、こんな答えがかえってくる。「こう言われればこう答えると想定するわけだが、でも想定外の事態出るでしょって、結構自分の中で思ってしまう」。その場だとなぜかインスピレーションが湧いてくる。「人生、あまり深く考えないほうが良い結果が出る場合もある」と岩崎は言う。

直感を重視するようになったのはこうした性格面だけではなく、別の背景もあった。明日、自分が死ぬかもしれないという体験を経たからだ。

「明日の朝、自分が死ぬかも。明日、目が覚めなかったら、自分はどうなるのか。と本気で考えたことがありますか?」と岩崎は真顔で問いかける。「実は、27歳の時に、心臓の手術をしている。朝一番の手術で、普段めちゃくちゃ寝つきが良いのに、ほんとに生まれて初めて一睡もできなかった」。

医者は大丈夫ですよ。99%以上の成功率で、後遺症がある確率は1%以下ですという。「客観的な数字だけ見たらそうかもしれない。でも絶対ってない0コンマ何%があったらどうするのかと思いましたね」。

明日、死ぬかもしれないという体験を通して、岩崎氏は逆に吹っ切れたという。今後後悔しないためには、今、全力を出し切る生き方をしようと。それまで、ロシアに留学したのだって、チャレンジしているつもりになっていた。

でも留学などはあくまで、学生生活の延長にすぎない。「やってしまって失敗したことじゃなくて、やらなかったことに後悔するのは絶対に嫌だと思いましたね。その後は、何か言われたら、何でもyesと言うことにしました。後で、なんで引き受けてしまったのだろうと思っても、そこに学びがあり、得るものがある」。こうして、直感を重視し、今を全力で生きる岩崎流の生き方が生まれた。

 

チェス棋士に必要なスキル、先を読む力とはどんな力なのか?

 

チェスと言えば、相手の何手先を読めるかが重要なスキルだろうと素人目には思える。しかし、岩崎氏に言わせれば「先を読むっていうのは、ちょっと感覚が違っている」。こういった駒の配置が理想だという姿があって、今の状況がこうなっている。

だから、あるべき姿と、今とのギャップを埋める必要がある。それで理想の状態を実現するために手を打っていく。「実はチェスでいう読む力というのは、絵を描いた状態にどうもっていくかという力なんですよね」。

実際に、チェスの試合に出てくるような盤面は、すごく絵的にバランスが取れていて、ほぼ一瞬で覚えられるらしい。脳科学的にいうと、人間が人の顔を認識しているときと脳波の出方が同じだという。人の顔のように局面に顔があるとも言える。顔を覚えるように過去の盤面の資料を読み込んだりするのだ。

 

 

やりたいことができる個人事業主という選択肢

 

さて、岩崎氏を働く人として見ると、個人事業主つまり自身の事業の経営者になる。個人事業主はやりたいことをやるための事業形態ともいえる。「今、個人事業主含む経営者と、サラリーマンの比率でいうと経営者が1割強、サラリーマンが9割弱といった状況。実は、めちゃくちゃ異常なことです。」と岩崎氏は言う。

1960年代の前までは、5対5だった。当時は高度経済成長を確保するため、企業の福利厚生を充実させ、生涯雇用を保障するとして、たまたま特殊な事情で企業に人を呼び込んだ。これから働き方は変わって、終身雇用はなくなり、や経済成長が終わって、人口が減少していく。「雇用されるのが、もちろん悪いわけじゃないですが、そこにいれば一生安泰でもなくなった。その中で、どう稼ぐ力をつけるかが1番大事。そのうえで、やりたいことをどうやってやっていくか」。

チェスを続ける人とやめる人の違いでいうといろんな事情があって、一概には言えないが、チェスを辞める人って、要するに、完全主義の人。仕事が忙しければ空いた時間を使ってスキルアップし続ければよい。

「今や、個人が起業する成約は何もなくなった。例えば、you tube は個人のテレビ局を持っているようなもの。その気になれば稼ぐことは可能だ。とは言え、いきなり起業するのではなく、うまくいったらこっちに乗り換えようでよい。実際ビル・ゲイツも、ジェフ・ベゾスも最初はサラリーマンだったのですから」。

まず、できることからチャレンジして、完璧を目指さず着実にスキルアップしていく、うまく行ったら個人事業主になるというのが、やりたいことをやり続けるポイントのようだ。

 

●プロフィール

岩崎 雄大(いわさき ゆうだい)

日本チェス協会棋士 五段

 

東京大学理学部数学科卒業

チェス以外の趣味はピアノ。

チェスと数学と音楽を統合した新しい形の教育活動を模索している。

 

2002年 ブレッドチェスオリンピアード代表

2003年・2004年 学生チャンピオン

2006年 全日本選手権3位、トリノオリンピアード代表

2006年から2007年にかけてロシアへチェス留学

2008年 第1回ワールドマインドゲームズチェス日本代表

2010年 『チェス錬磨之書 第壱巻 チェス入門』出版、チェス教則DVD『チェス道場 初級編』発売

2012年 イスタンブールオリンピアード日本代表

2014年 4月より半年間、毎日小学生新聞にてコラム『目指せチェックメイト』を連載

その他指導経験多数

 

刀匠秀平氏、刀とキャリアについて語る

 

刀工銘:秀平(ひでひら)、本名:根津 啓(ねづ けい)氏は、国内で約200人の刀工の中でも、さらに50人しかいない刀専業の刀鍛冶でいわばプロのプロ。刀のコンクールでは経済産業大臣賞など多くの賞を受賞。

高校生のとき名刀 観世正宗(かんぜまさむね)と運命的に出会い、その瞬間、刀鍛冶になることを決意。大学では、刀に関係する材料工学を専攻するなど、技能一辺倒の職人ということではなく、理論的な素地も修得した。刀作りは修行の一環という氏の話は職業観としても深い含意がある。

今回、学生のキャリア教育のため、スキルアップの本質を学びたい学生や、技を極めるスペシャリストを目指す学生のために、刀作りの道とキャリアについて語って頂いた。

 

刀について

 

今、長野に仕事場があり刀鍛冶をやっています。もともとは東京都出身なのですが、父の転勤で札幌に行き、そのまま北海道大学工学部で材料工学を修めました。

刀を作るにあたっては作刀承認という資格取得のプロセスがあり、その試験があります。合格すると、作刀して人に売っても良いことになります。そのため、長野県の坂城町というところで師匠について5年間修行しました。

刀工になったあとは4年間の御礼奉公があり、そのまま県内の長野市に仕事場を作りまして、初めて自分の炉に火を起しました。想像の通り冬は雪が深いんですが、結構田んぼも多くて、お米とりんごも採れるといった、自然に恵まれた静かな環境です。

 

日本刀の成り立ちについて

 

刀というと時代劇とかのチャンバラシーンのイメージが強いかもしれません。実際武器でもあるのですが、古来の三種の神器にも剣があるように、いろんな公事や信仰にかかわる場面でも使われたりしています。儀仗といって装束として身に着ける刀剣もあったり、将軍家に献上するとか、下賜されるとか、権威の象徴としての刀剣や、贈り物としての刀剣もあります。

このように非常に多様な活用のされ方をしています。一例を紹介すると、聖徳太子が帯びていたという節刀(せっとう)は摂政としての権威を象徴するものでした。聖徳太子の佩刀といわれている丙子椒林剣と七星剣は現存していて今でも博物館で目にすることがあります。

また、鎌倉時代からは、刃紋をしっかり見るための研磨も施されるようになってきました。そんな事からも武器としてだけではない刀剣の存在価値が分かります。海外の刀剣では、鞘に宝石をちりばめたりして装飾を施しますが、日本刀のように刀身に精緻な研磨はされていません。

刀身に実用のために必要な以上の研磨を施して、その刀剣に本来備わっている魅力を引き出して味わうというのは、日本刀独特の慣習で、日本だけの文化です。

 

刀づくりの職人たち

 

さて、日本刀を身につける時には様々な装飾が施された拵え(こしらえ)に刀身を入れ、それ以外の時には白鞘に刀身を入れておくという習慣が昔からあります。そして私たち刀鍛冶は、その刀身を作る専門職人なのです。つまり工程ごとに、いろいろな専門職人たちが連携して作刀していきます。

例えば、専門の炭を焼く人。鉄を熱するときには赤松の炭を使います。結構軽くて、風を送ると火力が強いのですが、すぐ燃えてしまうので炭を大量に用意しておく必要があります。

つぎに、刀身の素材となる玉鋼(たまはがね)をつくるのが、たたら師。「もののけ姫」にも出てくるのでイメージが湧くかもしれませんが、たたら製鉄と言って独特な作り方をします。実際に、私も島根の奥出雲町で操業されているたたらで生産された玉鋼を買っています。

それから、刀身の大体の形をつくるところまでは、刀鍛冶の自分がやるんですが、刃紋や地鉄が綺麗に見えるように研磨するのは専門の研師(とぎし)の仕事になります。彼らも修行しているんですが、研ぎだけで10年や15年の修行が必要です。

それから刀身彫刻師などもいまして、龍や梵字を彫ったりします。そのほかにも鞘師、鞘に漆を塗る塗師、ハバキという金具を作る白銀師。さらに、柄巻師、組紐師と言った多くの専門職人の手を渡りながら刀は出来ていきます。

 

 

刀鍛冶の仕事

 

いよいよ私たち刀鍛冶の仕事を紹介します。まず、たたら製鉄で材料ができるところから説明しましょう。昔のたたら場には炭がよく燃えるように人が踏んで、風を送る蹈鞴(ふみふいご)というものがありました。その蹈鞴を当て字でたたらと読むのです。

そのうちだんだんその製鉄する場所全体をたたらというようになった。粘土でつくられた炉に、木炭と砂鉄を交互にくべていって風を送る。三昼夜くらい続けてやるんですが、そのふいごを踏んでいる人を「番子」といいます。

当然、三昼夜体力は持ちませんので交代します。実はかわりばんこという言葉はここから来ています。三日三晩燃やして、やっと粘土の炉の中に、大きさが縦横畳1畳くらい、厚み20~30センチの「ケラ」と呼ばれる鉄の塊ができます。それを毎回炉を崩して取り出すのです。熱いうちに、そのケラを水の中に入れて冷やします。

で、そのケラの上に大きな鉄の塊を落として砕きます。これが材料となる玉鋼です。今の高炉では鉄鉱石とコークスを原料とし、2,000℃以上でどろどろに融けた鉄が出来ます。たたら製鉄は1500〜1600℃で、完全に溶けきらない状態。溶け切ってないので、ムラが残っている。ムラがあるから、鍛錬が必要になるわけです。私たちは、その砕かれた状態の玉鋼を材料として購入します。玉鋼の破面を目で見て、鉄質を判断します。

玉鋼は、鍛刀場の火床(ほど)と呼ばれる炉で、炭を燃料として少しづつ赤めては叩くという作業をしていきます。火床の横にはふいごがあり、中に弁がついていて、取っ手を押しても引いても、常に風が送れるようになっています。羽口と呼ばれる穴から風が出るようになっていて、鉄が融ける程に温度が上がるのは、穴の付近だけです。刀は長いので火床に入れながら、叩く部分だけを赤く加熱していくことができるようになっています。

さて、火床に火を起こすためには、炭が必要ですが、炭を買うと薪ぐらいの長さ、太さでそれを自分で切りそろえる必要があります。炭を大量に使うので、それが結構一仕事になります。大体1.5〜2cm角や3cm~4cm角に切りそろえるという作業をします。同じ大きさに切らないといけなくて、弟子入りするとまずこれをやることになります。昔から炭切り3年と言われていますね。

それで、この炭で熱しながら、刀をつくるわけですが、刀1本の重さは1kg弱ぐらい。これに対し玉鋼を10kgくらい使います。炭のほうは、大体300kg使います。

玉鋼の塊を先の火床で加熱して、真っ赤に熱して、水の中に入れて硬くする。固くしたものを割ってみて、割れ口を見て、刀身のどの部分に使うかをここで決めます。これらを鍛錬していくのですが、昔は7kgの重さがある向こう鎚で叩いていました。

向こう鎚の場合には、鎚を振り上げて、手慣れた人3人くらいで叩きます。今は 機械(スプリングハンマー)を使います。ある程度細くなってきてからは、手鎚で叩きます。次に、割った鉄を積み重ねて、和紙でくるんでから泥とわら灰を着けてそれを加熱します。空気に直接ふれると、炭素が燃え、そこだけ柔らかくなったりしますので、空気から遮断するという意味合いもあります。この工程を「積み沸かし」といいます。

積み重ねたものを加熱して、スプリングハンマーでそれをたたくと、ばらばらだったものがくっついて一塊になります。そこから長く伸ばして、折り返す、折り返してはまた、藁灰と泥をつけて加熱するというサイクルを繰り返します。最初の積み沸かしのときは、バラバラのものが積んであるだけなので大変なんですが、一塊になってからは、加熱する時に回したりできるようになるので楽になります。

ところで、この鍛錬時の加熱を「沸かす」と表現しますが、その意味は、鉄が溶けるちょっと前の温度になると、じゅくじゅくしゅわしゅわ沸いてるような音が聞こえるところからきています。

さて、鍛錬していく鉄の塊の固さは一様ではありません。刀は折れないように、刃先が固く、真ん中に軟らかい鉄が入っていて、棟側には弾力もあるという造りになっています。つまり、硬さの違う鉄を接合していくのです。この工程を「造り込み」といいます。

どうやるかというと、適切な硬さに作り分けておいた硬い刃の部分(刃鉄:はがね)と、側面にくる部分(皮鉄:かわがね)を、芯となる部分(心鉄:しんがね)に鍛接し、藁灰と泥をかけて沸かしながら徐々に延ばしていく作業です。一定の長さまで延ばしていくと、次は、刃の方を薄くする工程です。最初に、きちんと計算しておかないと、叩いてみて、ああ、細すぎたといっても戻せません。最初に仕上がりをイメージして、きちっと計算したうえで、1か所ずつ赤めては叩きというのを、二往復なり三往復なりします。

形ができると、全体を均一に赤くしてゆっくりと冷ます、「焼き鈍し」という工程です。灰の中につっこんで、ゆっくり冷ましていきます。これで組織が均一化されてくるのですね。焼き鈍し後の刀身の曲がりや捩れを取ってから、やすりとせん(工具)を用いて表面を整えます。

次が、「焼入れ」。刀身を赤めて、水にいれて急冷します。その時に、焼き刃土(やきばつち)といって、粘土、砥石の粉、炭の粉を混ぜたものを刀身に塗っておきます。これを刃先だけ薄く、他は厚く塗ります。薄いところは急激に冷え、厚いところはゆっくり冷える。これで刃先だけ硬くなり、刃紋ができる。研師が研いだ後の、仕上がりを大体見越して、刃紋がこういうふうになるだろうと、いろんな塗り方で調整していくのです。

焼入れが済むと、反りの調整をしてから曲がりを直し、それから鍛冶押しといって、粗い砥石で刀鍛冶自身が研ぎます。鍛冶押しで大体の形がきまると、その状態で研師さんに刀身を引き渡します。研師さんがある程度研ぎ進めてから、白銀師さんがハバキを作り、次に鞘師さんが白鞘を作って、それからまた研師さんのところに戻って、研師さんが刀身を研ぎ上げます。そうしてようやく一振りの刀が完成します。

 

刀匠の仕事の醍醐味は?

 

仏師さんは自然の木の中に仏を見出して彫るという話を以前にどこかで聞いたことがあります。仏師さんは、材料の木の中に元々いる仏様を感じていて、それを掘り出していく。刀作りもその仏師さんの仕事に近い要素があると思います。元々そこにあるものを顕現させるという意味では、刀の世界では研ぎ師さんがその役割を果たしています。

とすれば、私たち刀鍛冶は仏を宿す段階をやっているのです。これが刀鍛冶の醍醐味というか、この仕事の面白いところですね。鉄を練り鍛える過程で鉄に命を宿せたかどうか、その工程が面白い。上手くいったらいい刀ができる。

そしてまた、研師さんの研ぎ方によっても、魅力が十分発揮されることも、されないこともありますから、研師さんとのコミュニケーションが重要になります。

また、技術的には、鍛錬工程でも、造り込み工程でも、上手くくっつかず傷が出る場合があります。くっつけて伸ばしていくと、一流の人は当然傷が出ることが少ない。傷が出てくると、製品としては失敗です。上手い人ほど、失敗する確率は低いのですが、傷が出にくいやり方もないこともない。

しかし、傷が出にくい方法で堅実にというか、保守的にやっていると、面白い刀ができない。作風もありますが、とにかく攻めていくと結構傷が出やすかったり。そういう、攻めるかどうかのぎりぎりの繊細な調整が必要になります。

 

 

なぜ刀鍛冶を選んだのですか?

 

なぜかと言われると困るんですが、幼少のころから工具とか刃物に興味がありました。中学のときに、趣味でナイフの自作とかもしていて、日本刀にも漠然と興味はありました。高校生だったある日、日本国宝展があり、何か刀が出ているんじゃないかなと思い、観に行ってみました。その時衝撃の出会いがありました。名刀として伝わっているものには名物といって刀自体に固有の名前がついていますが、その中でも、正宗が作った観世(かんぜ)正宗という呼称がある一振り。その刀に出逢って、刀鍛冶になろうと決心しました。

直感的にその時に思ったのは、そういうものを作ることができる人間になりたいということ。刀だけに限らなくても、直感的にこうだなと答えが見つかるときがあります。その時点では理由は分からないんですが、後からその理由が分かってくる。私はそういうことが多いです。もっといいものがあるんじゃないかと思って探しても、ない。絵でも彫刻でも何でも、作った人の人間性が現れてくる。

その現れる人間性とは何かというと、根源的なのでなかなか言葉で表現できないような魂の色合い、質感みたいなもの。そういうものを実際に、古い刀を見ていても、今の刀を見ていても感じます。つまり私の場合、刀を見るときって結構人に会っているような感覚に近い。そういったものに惹かれたのです。

 

修行者のような心とはどういう心でしょう?

 

心って説明するのが難しいんですけれど、軸足と言うとわかるかと思います。普段の考え方、感じ方の軸足がどこに置かれているか。自分がどう思うかという軸足と、自分が読み取った道理のようなものがあってそれを読み取るという軸足は、基本的に違う。自我の取り扱い方が違うんですね。自分はどう思うかで動くのと、道理に従って動くのでは大きく違います。

例えば、読み取った道理に従うというところに軸足があると、仮に苦しい道であっても適切な方向であると思うならば、その苦しい方に行きます。でも反対に軸足がある人、自分がどう思うかを軸にする人だと、痛いのは嫌なのでそういうことはしない。修行者のような気質というのは、そういうニュアンスで言っています。

逆に、自分がどう思うかを軸に動く人だからこそなし得ることというのもありますけれど。どちらにせよ、人間なので完全にどちらかに寄りきっているということはなくて、度合いの問題ですね。

 

修行というものに根源的な希求があったのはなぜですか?

 

ごくごく古い時代の金属加工業を担っていたのは修験者のような修行していた人という説もありまして、今の実感としてはしっくりくるものがあります。もともと修行はしたかった。世の中には武術もあれば、お坊さんの修行、気功の修行、いろいろありますが、漠然と修行というものに惹かれていました。

それで、いろいろ試してはみたのですが、これも違う、あれも違うなと思いながら行きついたのがヨーガです。普通ヨーガというと、ハタ・ヨーガと言って、ポーズをとるヨーガが良く知られています。実際にはヨーガはいくつもあって、エネルギーをコントロールするヨーガ、瞑想するヨーガ、礼拝するヨーガ、日常生活をしながらのヨーガ、熟考するヨーガなど沢山あります。

生き物には輪廻があって、いろんな事を勉強し終え、その輪から卒業しましょうというのが大体のヨーガの最終目標です。経路がちがうだけで、皆そこを目指している。要は、山頂があって、登山口が色々あるわけです。私の場合はこれが合っていた。もとは、この修行によって、車の両輪のように刀を作ることにも活かされたりするかなと思ったんですけど、修行が侵食してきて、刀を作ることも修行の一部となっていった感じです。

 


 

人間として、古の名工たちに近づくこととは?

 

実際に昔の刀工が修験者のように修行していたかどうかは別として、今と生き方自体、生活自体が違いますよね。昔は、生き抜くために繊細な感性が必要不可欠だったろうし、鋭敏な感覚を持ち合わせていたに違いありません。専門職だと普通に生活していたよりも、さらに鋭敏な感覚が必要だったと思います。また、そういう感覚を持っていると、精神構造も変わってくると思う。

想像しかできないですが、私自身が修行していて、感覚のレベルが近づけば、名工であったその人の個人的な性格までは分からないにしても、精神の在り方がある程度こういう方向に向かうといったようなことは感じられるのではないかと思います。具体的にどのような人間だったかはわからなくても、昔の人たちの精神の在り方の方向性が分かれば、それで良いのです。

 

職人としてどのような自分になっていきたいか?

 

職人として、技法を練り続けたいと思います。ベースには修業先で習った作刀方法がありますが、その技法の中で上手くなるだけではなくて、繊細な感覚を駆使して、やり方自体を変える。ただそれは、1個変えると、そこだけ変えるだけじゃすまないことがいっぱいある。全体のバランスがくずれて、あれがおかしい、これがおかしいとなる。ちゃんと物を完成させるならあっちもこっち変えなきゃと付随して変えることになります。

例えば鍛錬回数だけ変えましたでは、それだけですまない事が多いのです。そういう意味で技法を練っていくなかで、道理が見えてくる。道理を繊細に覚知し、また更に技法を練るといったサイクルを続けられるような職人になりたいですね。

 

今職人になりたいという学生に対して何かアドバイスを

 

まず、情報収集は大事です。良い弟子入り先を探すことが重要。どこに弟子入りするかによって、半分きまる世界です。会社も同じだと思いますが、けっこうしっかり調べたほうがよい。あとはまあやってみないと分からないとは思うんですけど、いろいろ調べたりして情報収集するとしないでは全然ちがいます。実際には大して調べずに弟子入りすることも少なからずあるらしい。

しかし、弟子入りしてもやめちゃうと、採った側も、弟子になった側も良いことはない。私の場合はあくまでも刀鍛冶になりたかったわけですが、例えばもし刀に関わる仕事をしたいということであれば、研師とか、鞘師とか学芸員とかそういう道もあるのです。まずそういったところも含めて情報を収集するのがいいと思います。

あとは、全日本刀匠会という団体があって、そこに弟子入り希望者の問い合わせが結構来ているそうです。でも、例えばメールでの問い合わせにしても、一般的な礼儀というか、書くべきことが書かれていないことが多いみたいです。ごく一般的な常識、マナーというものも重要ですね。

 

プロフィール

刀工銘:秀平(ひでひら)

本名:根津 啓(ねづ けい)

http://hidehira-jpn.com/index.html#Section-6

昭和58年 東京都出身

平成18年 北海道大学工学部材料工学科卒業

平成18年 宮入小左衛門行平師に入門

平成23年 作刀承認

平成24年 第3回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」初出品 金賞第2席 及び新人賞受賞

平成24年 第7回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第7席 全日本刀匠会賞受賞

平成25年 第4回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 金賞第2席受賞

平成25年 第8回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第3席 長野県教育委員会賞 及び新人賞受賞

平成26年 第5回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 銀賞第1席受賞

平成27年 第6回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」経済産業大臣賞受賞

平成27年 第10回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第11席 全日本刀匠会賞受賞

平成27年 長野市信更町に秀平鍛刀道場を構え、独立

平成28年 第7回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 金賞第1席受賞

平成28年 第11回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第1席 岡山県知事賞受賞

平成29年 第8回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 金賞第2席受賞

平成29年 第12回 「お守り刀展覧会」総合の部 第2席 山陽新聞社賞受賞

刀身の部 第4席 テレビせとうち賞受賞

 

株式会社ゼットン/街づくりから人づくりへ 経営交代、理念の継承と深化の物語 株式会社ゼットンの企業物語

 

 

zettonという会社には一本の腕時計が紡いだ物語がある。高級腕時計ロレックス・サブマリーナ。二代目鈴木伸典社長の腕にはいつも一本のサブマリーナが巻かれている。

ダイビングウォッチとして名高いこのモデルには、通称「赤サブ」と呼ばれる希少モデルが存在する。

 

1960年代末期~1970年代後期までのわずかの間、文字盤の「Submariner」の記載が「赤く」印字されて生産された珍しいモデルなのだが、鈴木社長の腕に巻かれたこの「赤サブ」は創業者の稲本氏から託された特別な一本だ。

 

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アパグループ 代表 元谷外志雄氏が語る企業物語/アパグループ飛躍の鍵を紐解く!ホテル事業はなぜ生まれたのか

 

 

今やアパグループは、国内、アメリカ、カナダにおいて、ホテルを430棟、71,267室(建築・設計中、海外、FC、パートナーホテルを含む)を展開し、住宅部門を含めた2016年11月期のグループ連結決算は売上高1,105億円、経常利益338億円に達し、世界でも有数の巨大観光、住宅産業グループとなった。

1971年創業以来、短期間での事業拡大はまるで手品を見ているような驚きがある。

その急拡大がなぜ可能だったのか?

また、耳目を集めた中国人宿泊客のボイコット問題になぜ徹底した姿勢を貫いたのか?

その背景を元谷代表に取材した。

 

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株式会社プレコフーズ/成長の軌跡 ・たった1店舗の鶏肉小売店を、2万軒の顧客をもつ生鮮食品の卸事業へ

株式会社プレコフーズ/代表取締役社長 髙波幸夫氏

 

今や年商約170億円の生鮮食品の総合卸となったプレコフーズ。事業の種は64年前、父親の手による鶏肉小売店開業とともに撒かれていた。

1985年時点で3万6000店以上存在した国内の食肉小売事業店は、2014年には9500店を切り、その減少に歯止めがかからない(経済産業省商業統計)。

しかし、プレコフーズは家業を引き継いだ髙波現社長の指揮のもと小木から大木へと葉を広げ、小売りから食肉の卸を中心に業態転換し成長。東京、神奈川、千葉、埼玉の約2万軒の飲食店の顧客を保有するに至る。

 

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株式会社スープストックトーキョー/世の中の体温を上げる仕事 スープを食べる20分から生まれるドラマ

株式会社スープストックトーキョー/取締役社長 松尾真継氏

 

スープストックトーキョーのスープは、「世の中の体温を上げる」という。

創業者遠山氏から同社取締役社長・松尾氏へ継承された「作品となるビジネス」は、スープという名の思いとなり、手に取る人々のドラマを生み出している。

 

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株式会社エヌリンクス/代表取締役社長 栗林憲介氏に聞く企業物語 「まずは、一歩踏み出すこと 」

 

 

株式会社エヌリンクスは、「最高の『ウェブ×リアル』カンパニーを創造する」というビジョンを掲げ、営業アウトソーシング事業とゲーム攻略サイト「アルテマ」および会話型コマースを活用したお家探しサイト「イエプラ」を主としたメディア事業を運営している。

栗林社長は、大学在学中からベンチャーを立ち上げた人物だが、そもそも何故起業しようと考えたのだろうか。

 

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株式会社ブロードリンク/使命は人と社会と地球を豊かにすること 「活業」で世界ナンバーワン企業を目指す

リユース・リサイクル業界のリーディングカンパニー

株式会社ブロードリンク/代表取締役社長 榊 彰一氏

 

中古パソコンの買取・販売事業から始まった株式会社ブロードリンクは、今や世界市場を目指すリユース業界のリーディングカンパニーだ。代表取締役社長・榊彰一氏は、大手生命保険会社での営業経験を経て同社を起業。

時代の変革に合わせてやってくる大きな危機をチャンスに変え、事業をグローバルに広げている。リユース・リサイクルを「活業」とする榊氏の、業界に変革を轟かせてきた軌跡と将来像を伺った。

 

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日本のセルフストレージビジネスの可能性/株式会社キュラーズ代表、スポーン氏に聞く企業物語

 

 

近年急成長し、注目されているトランクルーム業界で実績・知名度共にリーディングカンパニーとしての地位にある株式会社キュラーズ

その市場の今後の展望を同社代表スポーン氏に伺った。また、今回は新企画として、代表からこれから社会を目指す学生たちに向けたメッセージを伺った。

 

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【就活生にまず始めてほしい”軸探し”とは?①】

 

【就活生にまず始めてほしい”軸探し”とは①】

~サマーインターンを終えたら次は何?早期内定を獲得した4年生が語る就活セミナーの報告~

 

 

9月23日、有志で集まってくれた18卒の先輩が
これから就活を始める3年生に対して就活セミナーを開きました。

9月の終わりの時点で就活に対して漠然とした不安を
抱いている3年生は多いのではないでしょうか。

特に何から始めればよいのか分からないという悩みを持っている人が多くいます。

この悩み根底には、
自分なりの就活のゴールを設定できていないという問題があります。

今回のセミナーではこの問題を解決するための効果的な取り組みとして
”自分の軸探し”について4年生に語って頂きました。

そもそも”自分の軸”という言葉について3年生はどれぐらい理解しているでしょうか。
たいての3年生は何となくでしか聞いたことがないと思いますが、”軸”の理解はとても大切です。

そこでまずは”軸”とは何か、先輩の話を聞いて理解を深めましょう。

 

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端的に言えば
”軸”とは、自分にとって良い企業を探すうえで必要不可欠な柱のことです。

 

自分にとって良い企業とはなんでしょう。
私たちは就活の経験から下の二つを兼ね備えた企業だと考えます。
①自分のしたいことが出来る企業
②自分の価値観に合う企業

 

①自分のしたいことが出来る企業

今3年生の中で、将来何をしたいのか、
どんな職業に就きたいのか決まっている人はどれぐらいいるでしょう?
将来何をしたいのか決まっている人は、
どんな業界に行きたいか、どんな職種に就きたいか見えている人が多いです。

将来やりたいことが決まってる人にとっては、将来やりたいことができる企業は
自分にとって良い企業と言えるでしょう。

②自分の価値観に合う企業

それでは将来やりたいことが決まっていない・漠然としている人は
何を基準に企業を選んでいけばよいのでしょうか?

将来の自分が見えないのであれば、今の自分の価値観を大切に企業を選ぶという方法があります。
今の自分(過去の積み重ねでできた自分)が働くうえで大切にしていきたいことはありますか?
その価値観に合う企業が自分にとって良い企業と言えるでしょう。

 

この二つの軸を紹介しましたが、どちらから見つければよいかは、
あなたが将来やりたいことが見つかっているかどうかで判断できます。

将来やりたい仕事が見つかっている人は、
①自分のしたいことが出来る企業を探す。
将来やりたいことが見つかっていない人・漠然としている人は、
②自分の譲れない部分を知る・価値観に合う企業を探す。

どちらのルートからスタートするかについて述べましたが、
最終的にはどちらも考え抜く必要があります。
2つの軸を兼ね備えた企業が自分にとって最善の企業だからです。

 

 

【軸がないとどうなる??】

・選考に落ちる
自分なりの軸がない人は他の人と自分は違うという主張ができません。
ありきたりな自己PRや志望動機になってしまい、個性や独自性のないES・面接になってしまいます。
自分の軸は就活の選考において聞かれる項目でもありますので、
自分の軸を語れるかどうかは選考に通るかどうかの決め手でもあるのです。

・終わりが見えなくなる
また就活には終わりがありません。終わりを教えてくれる人はいません。自分で終わりを決めるのです。
しかし軸のない人はもっといい企業があると思ってやめられなかったり、
就職先をどこにすればよいのか決められず悩み続けたりして、
延々と就活を続けるか。みんなが終えたから終わろうという曖昧な判断をしてしまいます。
自分なりに納得したうえで就活をスマートに終えるために軸はとても大切なのです。

 

【軸はなぜ就活において大切なの??】
①道しるべになる
業界や業種様々でありとあらゆる企業を片っ端から受けていくことはできることではありません。
自分にとって優先順位の高い企業や自分にとって良いと言える企業を
選んでいくうえで軸は自分を導く指標となります。

②選考の決定打になる
選考が進んでいく過程で必ず企業に質問されることが、
どうしてウチが一番なの?他の企業じゃダメなの?という質問です。
この質問に答えるには、同じような製品を販売している他社ではなく、御社でなければならない
理由を語らなければなりません。その理由を語るにはやはり、自分なりの企業を判断する軸が
欠かせないのです。軸がないと曖昧かテンプレート的な答えしか出せず、
選考に落ちてしまいかねませんが、軸を持っている人は自分の考えを自分の言葉で伝えることが
出来るため選考での決定打となります。

 

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このように就活を終えた4年生にとって振り返ってみれば”軸”というものは
就活においてとても重要な役目を果たしていました。

自分なりの”軸”を見つけること・探すことを怠らずめげなかった人が
就活をうまく乗り越えられるのではないでしょうか。

問題を自分で見つけ、自分なりの答えを見出さなければならない超難題ともいえる
作業ですが、これから就活をはじめる3年生にはぜひ自分の”軸”と向き合う時間を大切にしてほしいです。

就活を終えた4年生に、効果的な就活の準備、乗り越え方を聞く(後半)

 

 

就活を終えた4年生に、効果的な就活の準備、乗り越え方を聞く(後半)

 

 

会社を見切るポイント、前に進めるポイントは?

 

 

~ この会社はないなという見切るポイントはどういうところですか? 

 

柳原:人で皆判断していますね。私が断ったケースは、人事兼営業の人がいた会社だった。あんまり中小企業なので、人事だけの人ではなくて、その人がいて、社長さんもいた。その社長さんの方の言葉には響いた。なんだけど、もう1人の社員の方すごく浅かった。

どういう事を先輩から学んだかとか聞いたとき、その人が尊敬している先輩のやっていることがどうもちゃらんぽらんに聞こえて。私からすれば、この人が先輩になるのか? 違うと。社長さんはすごくいい人だけど、社員さんがちょっとなと思っちゃった。そこでお断りしました。

でも内定した企業さんの方は、人事ではあったが、かなり私の心を掴んだ人だった。そのまま進もうとなった。働き方が魅力的だなっていうのがあって、その人自自身もすごく魅力的に感じたんですけど、この人を上司にしたらとか、それ以上にその人のやってきたことに憧れというか、その人は、社長の秘書を5年やって、人事部の他の部署の営業部の会議に出て、勝手に意見言って、そしたら「それいいですね!」と意見が通ったらしい。自分も上から言われた事だけじゃなくて、自分もやりたい事を発信してできるような環境に自分でしていけたと。

あっ、そういうのが自分次第でできる会社なんだって思った。自分次第で周囲を動かせる働き方がしたいなって、お客さんとたくさん触れ合いたいというよりは、一緒に働く人とたくさん触れ合いたい。私のサークルでも3人でミーティングしてるよりも10人でミーティングしてるほうが楽しい。

その会社の面接のときもガラス張りで他の社内ミーティングの様子が見れて、それは部署を超えて議論しているらしく、すごく魅力的だなと。それを聞いた時に、ああこういう働き方ができる会社なんだなと。そこから選考が進んでいって、もう毎回、他の会社も含めた選考の中で振り返ってみると、他の会社が選択から落ちていった。

反対に、大手企業でありがちなのが、一方通行。集団面接。ありがとうございました!というパターン。説明会の段階では企業はいろんな魅力を伝えてくるが、その後は企業側は何の魅力を伝えてこないっていう。更に面接官が「君はこういうところがいいから、自分たちはいっしょにこういうことがやっていきたいんだ」というようなことはまずないです。

一方、内定した会社の担当の方は毎回コミュニケーションがあって、1対1のとき、必ず向こうが勝手にしゃべりだすし、めっちゃ気軽に話してくるので、こちらもすごいアピールしていくことができた。求められているというより、より面接を進める段階で、お互いを理解しあえて、かつ更に思う、更に思うみたいな。より確実に、入社が適合していってるなっていうのが確信を持てた。安心感がありました。

一方通行だとやっぱりね。私にとってホントにいい会社と思え、私自身が、それは中小企業で、かつ人を大切にしてる会社だからやって、できてる事なんだなと思って、決まりました。

 

やりたいことがわからない人が多いが、軸はどう探せばよいのか?

 

~ 学生に対して、軸の探し方とかアドバイスをお願いします。

 

柳原:多くの学生は何がやりたいかよくわからない。6:4で、6割はわからない。でもあとの4割もどういう理由でやりたいのか、本当にやりたいのか、薄っぺらいのか、わかんないんですよ。やりたいこと自体、分かんないで受けまくってる人は6割ってことです。

で、そのやりたい事がわかんない人が、どうやって軸を探すかっていうと、私の場合は、その会社で働いてる人たちにやりがいを聞いたりとか、どういう目的で仕事をしているのか聞いた。最初、何回かいろんな業界を見てて、ITの業界の人たちは、革命を起こしたいとか、結構大きな目的があって、壮大なビジョンを話されることが多い。

でも、私とは全然違うなと共感できなかったし、自分がそのIT業界にいく理由を見つけられなかった。IT業界違うのかなと思って、やめました。

じゃ何が軸なんだろうなと思って、飲食業界の人の話をきいて、笑顔にしたいというのはなんだろうと考え始めた。その時、エネルギー業界も見たんですけど、モチベーションは何ですかと質問すると、ぶっちゃけお金とか。それは正直でいいんですけどね。

で、強いて言えば、あらゆる人の生活の基盤を支えてるということらしい。人の基盤、土台になりたいかっていうと、それも違うなと思った。自分に1番近い人達のマイナスをプラス、プラスをさらにプラスアルファにすることを私はしたいなっていうこと。それを提供するのが私は、笑顔にしたいっていうのがあったので、そこにはまる企業は「そうですね。」とか共感をもてイメージできるという事が多かった。

 

~ 後輩の学生に対して具体的にやっておくといいことについて教えてください。

 

柳原:どうやって軸を探せばいいか?についてお薦めしたいのは、自分が頑張った事を記事にしておく、言葉に残しておくてっていうのは大事。就職活動する時に、過去を振り返る。大体、大学時代に力を入れた事はいざとなるとなかなか思い出せない。その時、思い出す材料になる。

私の場合は、2年生の時の活動をHPに載せていて、それを全部かきあつめたり。あとは学生団体でFacebookに毎回イベントの様子を載せていたのでその時の苦労とか、何が1番楽しかったのかと鮮明に思い出せる。

実は、その時は結構具体的な工夫をしたりしているわけ。そういう工夫を思い出したり、探ったりして書けたなっていうのがあったので、自分でがんばった事を記事にまとめておく、言葉にしておく。自己分析する時や、エントリーシート書く時にも鮮明に思い出せるので大事かなと思いました。

軸探しについても、自分が何したいか分からない人の軸探しはどうすればよいのか?大学の課外活動は、軸に繋がるんじゃないかと思っていて、私がやってる事もボランティアや復興支援じゃないし、日本文化の知らない部分を発見し、情報発信していこうというもの。そもそも自分が頑張れたところじゃないと、軸にしても語れない。何をやりたいか分かんない人は、自分が頑張れたことの要素を出していく作業が必要かな。

高校までだと自分ができる事が制限される。大学生活は自由なので、ボランティア、サークル、バイト その中で、自分が力入れたなと言えるものがあるが、高校までの過程は、自己PRに使う性格的なところで分析はした。人の意見に惑わされないとか、割と胆が据わってるはずだと。そういう要素があった。

母親に話を聞いたりとかして、私幼稚園の時どうだったか聞いた。ああ性格的にこうなんだと認知できた。自己PRもいろんな自己PRの仕方がある。母親の話をきいて、高校生より前の自分らしいを発見する。

あと私、おばあちゃんに話を聞きましたね。おばあちゃんにお母さんどういう人だった? 母親に私の話を聞いたうえで、さらにおばあちゃんにお母さんどういう人だった?と聞いていくと、感覚でしっくりきました。というように、自分のPRにつながるようなことを普段から意識していると、うまく材料が集められていくと思いますね。

 

~ なかなか、先輩にかしこまって聞きづらいこともあったのですが、いろいろ丁寧に具体的なアドバイスありがとうございました。

 

柳原:今お話ししたことは、ほんの一部なので、また困ったら聞きに来てください。