去る11月2日、コンサルティングファームとして名高いアクセンチュア元代表海野恵一先生をお招きし、開催したセミナーの内容をレポートします。2時間を超える熱演でしたが、本稿ではその様子をお知らせします。
このセミナーは、コンサルティング業界に興味をもっている学生向けに開催しました。大手コンサルファームでキャリアを重ねられる人材とはどのような人材なのか?どういったスキルが求められるのか?また、人脈の築き方などを語っていだだきました。
2時間を超える熱演でしたが、本稿ではその様子をお知らせします。以下、お話をいただいた内容をもとに編集しました。
戦略コンサルティングの仕事とはどのようなものか?
特に男子学生にとって、もっとも人気の高い業界の一つが戦略コンサルティングです。ここで少し、コンサルティングの業界を整理してみましょう。
まず、4象限からなるマップをイメージしてみてください。縦軸に取り扱う事業領域、戦略中心(上)か、システム中心(下)か。次に、横軸に業務を置き、リサーチ中心(左)かコンサルティング中心か(右)に分ける。この中のどこに位置するかによって、どんな特徴をもったコンサルティング会社なのかが大体分かります。アクセンチュアはその中で、上流の戦略から下流のシステム構築までを実施する総合コンサルティングファームです。
このような位置づけになっているので、アクセンチュアの組織はコンサルティング部門とシステム部門に分かれています。コンサルティング部門が戦略を立案し、それを確実にシステムに落として業務が完全に流れていくようにシステム部門がシステム構築を行います。
海野恵一先生のアクセンチュアでのキャリアの研究
アクセンチュア日本法人トップまで昇りつめた海野先生の仕事のスタイルを研究すると、戦略コンサル業界で必要なスキルや行動が見えてきます。
まず、海野先生のキャリアは、システム部門から始まりました。当時、トップ・エンジニアの月単価は800万円だったといいます。(今はもっと低い)その中で、世界の製造業の手本になっているトヨタのカンバン方式と言われている手法をコンピューターシステムとして具現化したのが海野先生です。また、インターネットの黎明期にソニーのメールシステムを構築したのも数多くある実績の一つです。
海野先生は、普通のエンジニアと何が違ったかというと、普通はコードを書く量が一日1,500行に対し、5,000行を書いていました。すさまじい集中力と、仕事量ですが、なぜこれができたかというと、ほとんどの時間を仕事に費やしていたからです。なんと先生は8年間もベッドの上で寝たことがないそうです。これを海野先生は「仕事が好きだったから」とさらりと言います。今ではこんな働き方をブラックと言いいますが、好きでやる分にはそんなことも関係ないというわけです。
しかし、現実的にコンサルティン会社では、顧客以上に顧客の業務に精通しなければならず、担当する顧客の業種もまた増えてくる。また任されるクライアントも大きくなってくるので、要求される仕事のレベルがどんどん上がってきます。
では、海野先生はどのようにキャリアに適応してきたのでしょうか。それは上司を見て仕事をしていたということです。「前乗りして見ていればわかる。」と海野先生はいいます。
つまり、上司がどんな仕事をしているのか詳細に観察し、取り組んでいる課題や、対処方法について研究するのです。その内容をシミュレーションしておけば、自分がそのポジションになったときに対応できるようになります。
コンサルティングとは戦争である
企業経営の観点では、ライバルとの競争に勝つためには、無駄なコストを削り、少しでも利益が出るようにマネジメントしていくことが必要です。
一方において、今まで自分がやっていた仕事がなくなる事業部や、社員が出てくることになります。結果、仕事がなくなる事業部は、コンサルティングに協力的ではないという事態が発生します。こんな場合には、企業経営者を介して、事業部の担当役員を変えてもらうといった荒療治も必要になる場合があります。まさに抵抗勢力との闘いです。
その時、現場にはアクセンチュアからコンサルタントを何人も送り込みます。コンサルタントにはこのような状況で、圧倒的な業務の量と、顧客企業とのコミュニケーション上の負荷がかかり、耐えきれず、体調を壊し退職していくメンバーも少なからず出てきます。つまり、実際には相当苛烈な仕事だと言えましょう。
気になる年収は?
しかしながら、そのハードワークの代償として年収は高いし、成長もできることは間違いありません。海野先生が代表を務めていた頃の報酬は2億円だったそうです。「ただ、それでも全然高くないよ」と海野先生は言います。コンサルタントの年収は、成果に対して支払われるもの、だから、もともと100億円規模の事業で15億円のコストダウンに成功すれば、5億支払ってもよいという話になるのです。
つまり、企業経営の上流の課題に関わっているので、少人数で上げられる成果が大きいため、コンサルタントに支払われる報酬は大きくてもよいということになります。
仕事のポリシー
海野先生は「かっこいい生き方がしたかった」と言います。海野流のかっこいい生き方とは、逃げないこと。そして、上司や部下を裏切らないこと。コンサルティングには失敗がつきものです。ミスがあっても組織や部下の責任を背負う。そして、上司や部下の失敗をカバーし、最後の一人になっても戦い抜くということです。
生き様として、このスタンスを貫いたことで、顧客からの信頼を勝ち取り、海野先生はトップへの道を歩んでいきました。どういう表現をするかは別にして、最後まで逃げずに責任を取るというのは、組織のトップに要求される普遍的な要件なのです。上に立ちたい人はいかなる場合でも逃げてはいけないということですね。
世界で通用する力
アクセンチュアは、海外拠点がありグローバルにコンサル事業を展開しています。すると、英語を駆使して仕事をしていれば、企業経営のノウハウは世界共通なので、世界中どこへ行っても活躍できるということです。かつ、世界での人脈を築くことができます。
海野先生自身は、この英語力を生かし、世界のリーダーの輩出機関、青年会議所のチェアマンとなりました。この結果世界の要人とのネットワークができ、それが退職後も継続しているといいます。
グローバルな世界での日本人としての矜持を教えるために海野塾を開講
日本人そのものが英語がネイティブではないので、世界で戦うにはビハインドを背負っています。深い会話をするには、TOEICは900点以上が必要だと海野先生は言います。これからのビジネスパーソンは英語で直接相手とやりとりできないと全然話にならないのです。
そのとき、TOEIC以上に重要なものがあります。つまり自分が何者であるかというルーツ、すなわち日本精神が語れる必要があります。「そういった矜持は、実は江戸時代には儒学を介して培われていました。それが幕末から維新にかけて日本人の精神、魂を全部捨て、実用的な知識に走ってしまった。」と海野先生は言います。先生は、現代の日本人に必要な矜持を「心の身だしなみ」と表現しています。
「塾では150年前に持っていた心の身だしなみをもう一度、150周年のこの時に取り戻そうとしています。ここでは江戸幕府時代に持っていた儒学を改めて教えています。大学では知識を教えますが、知恵は教えません。勉強しなくても生きていけますが、それがないと皆さん人生の大きな転機に対応できません」。世界を切り拓いていてきた先駆者、海野先生はこう語っています。
学生からの質問
Q:仕事が好きになるとはどういうことなのでしょうか?
A:究極的には忍耐やあきらめということになります。女性を好きになることと同じように考えればよいのです。相手からどんなに言われようが、それを含めて好きになる努力をすることです。ある面、それには強靭な精神力が必要ですね。
【プロフィール】
海野恵一(うんの・けいいち)
東京大学経済学部卒業後、アメリカの監査法人アーサー・アンダーセンに入社。アーサーアンダーセンがアクセンチュアに商号変更後、アクセンチュア代表取締役。
アクセンチュア退社後に、スウィングバイ株式会社を設立、代表取締役社長に就任。新速佰管理咨詢(上海)有限公司董事長、大連高新技術産業園区招商局高級招商顧問、大連市対外科学技術交流中心名誉顧問、無錫軟件外包発展顧問、対日軟件出口企業連合会顧問、環境を考える経済人の会21事務局員を務める。
現在、経営者育成を目的とした「海野塾」や、各種講演・セミナーなども含め、自己の向上や国内外の企業・社会のために精力的に飛びまわっている。
2001年 アクセンチュア 代表取締役
2004年 スウィングバイ株式会社 代表取締役社長
2004年 天津日中大学院 理事
2007年 大連市星海友誼賞受賞
2012年 海野塾塾長
著書
『本社も経理も中国へ』ダイアモンド社
『これからの対中国ビジネス』 日中出版
『2020年、日本はアジアのリーダーになれるか』 ファーストプレス
『日本企業はアジアのリーダーになれるのか』 ファーストプレス
『日本企業は中国企業にアジアで勝てるのか?』日本ビジネスプラン
『男としての心の身だしなみはできているか?』スウィングバイ株式会社
『アクセンチュアでどのようにして代表取締役になれたのか?』同上
『Major Controversial Issues at WWll』 (英語) 同上 (5月出版) 他多数