【学生取材レポート】ダイドードリンコ株式会社

文:卜承漢(ぼく すんはん) 写真: 周依琳(しゅう いりん)

取材先:ダイドードリンコ株式会社 人事総務部人事グループ 中野絢様、山下実菜美様、渡邉彩様

業界:飲料製造

 

ダイドードリンコ株式会社は、飲料の自動販売機設置台数が全国で28万台を超える、学生にとっても非常に馴染み深い会社だ。ダイドーの社名は、元々の設立母体である「大同薬品工業株式会社」の“大同”に由来するが、さらに意味を付加して「ダイナミック(Dynamic)」にチャレンジを「行う=ドゥ(Do)」という企業精神を表して「DyDo」としている。また、「ドリンコ」は英語の「ドリンク(Drink)」に、“仲間・会社”を意味する「カンパニー(Company)」をプラスした造語だ。全体として 「ダイナミックに活動するドリンク仲間」を表現しているそうだ。今回、中野様、山下様、渡邉様に学生数名で取材させていただいた。

 

-御社は飲料業界では、製品開発から販売までを手掛けられています。御社の全体事業戦略と各セグメントごとの事業戦略の関係について教えてください

戦略の大枠としては、中期経営計画の中で2018年度を最終年度として、4つのチャレンジについて取り組んでいます。一つ目は既存事業成長へのチャレンジです。現在、売り上げのほとんどが自動販売機によるものです。この自販機ビジネスを強化し、キャッシュフローの継続的な拡大を図っています。二つ目は商品力強化へのチャレンジです。商品自体のブランドパワーをより高めることに取り組んでいます。三つめは海外展開へのチャレンジで、イスラム圏のトルコに新しい戦略拠点を構築し、輸出ビジネスの拡大に取り組んでいます。最後は新たな事業基盤の確立へのチャレンジです。飲料、食品だけでなく、M&A戦略により、新たな収益の柱確立に取り組んでいます。

 

­­-世界的な企業も含め競合他社がひしめく業界での御社の経営の強みについて教えてください

経営面では①自販機②コーヒー③ファブレスの三つの強みがあります。①自販機は全体売り上げの85%以上占めている中核事業です。②商品でいうと、飲料売り上げ全体の50%を占めるコーヒーが強みです。特に、当社は香料不使用のコーヒーづくりを行っており、香料で香るのではなく本来の豆の香りが飲み終わるまで継続することにこだわっています。これは「こころとからだにおいしいものを」提供したいという思いから、創業からずっと守り続けてきた当社の精神です。③ファブレスは、fabrication facility(製造施設)とless(ない)を合わせた言葉で、自社工場がないという意味です。協力している会社に製造・物流を委託しています。なぜそれが強みかというと、全国約30ヶ所の工場で現地生産し、現地消費を可能とすることにより、物流コストを抑えることができるからです。また、工場建設という設備投資のリスクを回避することができます。これらにより、経営資源を効率よく運営することができ、限られた資源を商品の企画、開発、自販機オペレーションなど、必要なところに集中することができます。キャッシュフローの面でいえば、 協力会社に掛け買いをするという方法を採っています。そして売上金の回収は自販機からの現金主体なっていて、収支ギャップが常に小さいです。その結果、安定したキャッシュフローが確立されて、確固たる財務基盤を持って経営を推し進めていることも強みと言えます。

 

-以上の事業戦略を遂行されるにあたって、御社が採用したい人材の人材像について教えてください

当社で求める人材像は、若手からチャレンジできる風土を利用してそれを生かすことができる人材、つまり、チャレンジ精神に満ちあふれて失敗を恐れずに実行できる人、主体的にレールを引ける人です。先に述べたような当社の三つの強みが今の時点では強みとしても、それがいつまでも当社の強みであり続けるとは言えません。外部の社会と環境の変化により変わっていくかもしれません。その世界の流れの中で、当社は、若手からチャレンジできる風土が確立されているのが強みです。社長の髙松富也は42歳と若いので、その分社員との距離が近く、若手の意見も聞きながら、会社全体でどんどんチャレンジを推進しています。このように、当社ではチャレンジ精神が浸透しており、若手にも積極的に機会を与えています。たとえ失敗しても良いので前向きに取り組むことを推奨しています。私も人事グループに配属されてすぐに上司から、「どんどん主体的にやっていってほしい」と言われました。基本的には自分一人に全部の過程を任せてもらえるため、最後まで自分の力でやりぬく達成感があり、その中で成長することができるのです。

 

­-御社はボストンキャリアフォーラムに参加されていますが、留学生に性格的なソフト面と学歴などのハード面の二点において、どのようなものを期待されているのか教えてください

当社は自販機ビジネスとして成長してきたので、自販機ビジネスに強い人材が多数です。現在、当社を取り巻く環境は変化しているため、その変化に対応できる多様な人材が必要となっています。留学経験がある学生には、海外経験によって広まった視野や語学力を生かして社内をより活性化させることができる人として期待していますが、当社は採用の際、育成の観点からハード面よりはソフト面を重要視しています。なぜかというと、ハード面は会社に入ってから身に着けることができるからです。もちろん、ハード面のスキルを備えていることは有利です。海外事業部で担当できる幅も広くなり、活躍できる部門も多くなります。しかし、入社時点でのスキル不足を理由に配属が限定されたり、採用されないということはありません。知らないことに対し、先輩や周りの人の話を素直に吸収できる人、かつ自分の意見も持ちながら、違う世界感に触れたり、知らなかったことを教えてもらったとき、それをどうやって活用し、自分としての色を出していこうかと考えられる人と一緒に働けることを期待しています。

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-これから就活を迎える大学生に一言アドバイスをお願い致します

アドバイスの前に逆質問になりますが、就活にあたって、どのような業界が気になっているとか、こういう仕事がしたいということが決まっている人はいますか。やりたいことが明確に決まっていることも大事ですが、何事にも二面性(表裏)があって、今自分が考えていることや当たり前だと思っていることがもしかしたら固定観念かもしれないので、そういう意味で色んな企業を見てほしいです。就活だけでなく、生活するうえでも、自分が選択した行動が固定観念によるものかもしれないということを思いながら、常識と思っていることを非常識と捉えてみようと意識することが大切です。元々自分が思っていたことが違うと気が付くかもしれないし、さらに自分の考えが明確になるかもしれない。そんな意識を持って生活してほしいです。そのための手段としてインターンシップに参加したり、企業について深く知ることが重要です。 

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この度、業界や独自の事業展開について非常に丁寧にわかりやすくご説明いただいた。取材を通して、身近な飲料メーカーも、広い視野でグローバル化の潮流に合わせた変化を遂げていることが理解できた。モノづくりという産業にも関わらず、自前の製造にとらわれるのではなく、ファブレスという差別化戦略を取り、またいかに時代の変化に適応していくか考えられていることが印象深かった。社員との距離を縮めて若手の声に傾聴し、常に革新的な姿勢を維持しようとする社長のスタンスも理解できた。無香料という品質へのこだわり、またファブレスという思い切った戦略など、チャレンジする企業としての将来性を感じた取材となった。

 

 

【学生取材レポート】ラオックス株式会社

取材・文:張 軒誠

取材先:ラオックス株式会社 社長室経営企画部 山崎様 山本様

業界:小売業 家電量販店 インバウンド消費

 

ラオックス株式会社は、1930年に谷口正治氏が東京都墨田区で創業した谷口商店を源流とし、80年以上の歴史を持つ伝統のある企業です。ラオックス株式会社は、2000年前後は店舗数の量的拡大を目指しおり、最大手の家電量販店として数えられていたこともあります。しかし、近年ではその業態から一変し、海外旅行客を主な客層とした総合免税店としてのブランドイメージを確立させました。現在、日本におけるインバウンド消費市場は成長・拡大をし続けており、この市場をどのようにとらえられているのか、社長室経営企画部の山崎様、山本様に様々な質問をさせていただきました。

 

―まずは会社の歴史についてお聞かせください。

 「2000年頃、わが社は『家電量販店の雄』と呼ばれるほど大手の家電量販店でした。しかし、その後ビックカメラやヨドバシカメラといった新興家電量販店との競争に敗れ、店舗数を大きく減らしていきました。しかし2009年に中国の蘇寧電器(現:蘇寧易購)の資本が入ったことをきっかけに、従来の体制を一新して他社に先駆けて総合免税店を開き、日本へ来日する外国人旅行客を主な客層とする方向に舵を切りました。わが社では当時から一貫して『日本製品の価値の再発見』をコンセプトに、技術・品質に優れる日本製の商品・サービスを海外のお客様に提供し、「ジャパン・プレミアム」を届けることに努めております。」

 

 「また、その他にもわが社では他社に先駆けて新しい事業に積極的に取り組んでおります。その一環として、現在ラオックスでは家電のみならず、お客様の意見を取り入れて様々な商品やサービスを取り扱っております。例えば、安全面において高く評価されている日本の医薬品などドラッグの強化、また日本産の高品質な生活雑貨、婦人靴などのライフファッション事業や、海外のお客様に日本文化を体験していただくためのレストランの運営、劇場等のエンターテインメント事業も行っています。ですので、以前の家電量販店のイメージを持っている方が現在のラオックスの新店舗にご来店いただいた際、その意外性に驚かれるかもしれませんね。」

 

エンターテイメント事業 (『ギア-GEAR-』EastVersion)

 

「また2011年以降、蘇寧の子会社となった後は雇用がより柔軟なものとなり、男性ばかりではなく女性の従業員も増えました。現に経営企画部の私たちも女性の比率が多いですからね。」

 

―では、2009年以降女性社員が増えたと仰いましたが、そのメリットは何ですか?

 「女性のほうが場の雰囲気をくみ取りやすいですね。例えば女性の場合、店舗でも雨の日にお客様にタオルを差し出すといったような気遣いが、一般の男性に比べてより自然にできますよね。このような細かい気配りがサービスの質を向上させているのです。」

 

 「また、接客の面でもメリットがあります。従来の家電量販店では男性従業員が中心で、いわゆる体育会系のセールスがとても多かったのです。しかしそれは女性客にとっては非常に話を聞きづらい環境で、女性従業員を増やすことで接客の質の向上に繋がっています」

 

 「もちろん女性の弱さもあると思いますよ。例えば女性ばかりの店舗は安全対策に欠けるので当然男性従業員も必要です。会社は一つの家みたいなもので、男女それぞれの役割があるのです。女性が一人でもいる部署では、どうしてもその女性社員に対する配慮をせざるを得なくなり、企業内の雰囲気が柔らかくなり、社員の働き方も変わります。」

 

―競合他社に対してはどういう考えでいらっしゃるのでしょうか?

 「基本的に他社と競争しようといった思いはありません。仮に日本におけるインバウンド消費市場で与えられるパイが一定であるとするなら、奪い合わなくてはなりません。しかし、日本のインバウンド消費はこれから明らかに拡大傾向にあるため、様々な企業がそれぞれの特徴を活かし、外国人旅行客の方々に日本製品の良さを知っていただき、結果として日本のインバウンド消費市場を成長させていけたらなと思っています。」

 

 「わが社はそういった競争を意識するよりも、いかに特徴的な店店舗づくりを進めていくかを意識しています。商品を開発する際、何よりもお客様の意見を取り入れています。例えば以前、日本の炊飯器といえば白かシルバーの色しかなかったのですが、お客様の意見を取り入れ、赤やゴールドの炊飯器を販売した結果、特に中国圏のお客様に大ヒットしました。このように入手した情報をいち早く製品に反映させた方が、従業員もよりのびのびと接客できるようになるのです。結果として、こういった手法で他社にない製品を販売することにより、多少高価だとしてもお客様に満足して買っていただけるようになるのです。」

 

―いわゆる『爆買い』の終息に関してどうお考えですか?

 「確かに商品を陳列するだけでお客様に商品を買っていただける時代は終了したと思います。従来の『爆買い』時は決まった商品を1回でまとめて購入されるケースが主流だったのに対し、現在はリピーター客の増加もあり、様々な商品を数回にわたって購入する方向にシフトしています。結果としてお客様一回あたりの購入金額は当時に比べて落ち着いていますが、来店客数は順調に増加しおり、今後もゆるやかに増加していくことが予想されていますので、終息と言うよりは『爆買い』の形が変化しただけだと思います。」

 

 

 「もちろん販売方法の工夫もしています。わが社では販売する際、単品購入よりもお買い得なセット商品を作り、レジ前で提案するなどの販売方法にも力を入れています。こういった提案をすることによってなるべく数量を多くお買い求めいただくようにしています。盲目的な購入が減っている今日では、企画と提案が重要になっているのです。」

 

―御社はどうしてもアジア人顧客が多いイメージがあるのですが、その他の国々の顧客に関してはどうお考えですか?

 「やはり親会社が中国の会社ということもあり、わが社の主要顧客はアジアのお客様です。しかし、欧米や他国からのお客様も一定数いらっしゃり、年間で約50カ国のお客様に来店いただいています。アジアのお客様は生活の中で使用する消耗品への購買意欲が高く、日本製品を多く買われるのに対し、欧米のお客様は日本の置物やお土産品等を購入されたり、茶道の体験をしたりとより日本古来の文化体験を好まれる傾向があります。営利企業として、わが社はより利益の上がる方、パイの大きい方を重点的にマーケティングしています。」

 

―御社が就職活動に臨む学生に対して求めるものをお教えください。

 「まず、わが社は社員の提案することは何でもやらせる会社です。なので、自分の社会的地位や年齢、性別、国籍など気にせず、果敢に自分の考えを表現する新入社員であってほしいです。例えば自分の上司の提案に対しても積極的に意見できるような人がいいですね。確かに生意気だと思われるかもしれないですが(笑)。しかしわが社では、基本的には手を挙げればやらせてもらえる雰囲気ですので、他人の目をはばからず、積極的に自分の意見を発信できる学生さんにぜひ来ていただきたいですね。」

 

 「また、わが社はまだ成長段階にあるので、現状に満足するのではなく、常に成長志向を持った学生さんも大歓迎ですし、わが社の雰囲気に合うのではないのかなと思います。逆に上司からの指示を待ち、そのすべてに何の疑問も抱かずに忠実にこなすような人はわが社には合わないのかも知れませんね。確かにこのような人は大企業では出世するのかもしれませんが、わが社では上司に自分のキャリアを決めてもらおうとしているような人はあまり向いてないですね。」

 

 「例えば、1階で待ち合わせていた時の景色と15階にあるこの会議室から見た景色だと随分違って見えたと思うのですが、やはり高みに上った後に見える景色は変わります。わが社としては現状に満足せず、欲を出してその高みに上ってみたい人にぜひ来てほしいですね。」

  

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取材を終えて、振り返ると、『革新』という言葉がしばしば脳裏に思い起こされた。他社に先駆けて新たな市場を開拓しようという強い意志をひしひしと感じた。やはり多様な国々の顧客を対象とするビジネスにおいては柔軟な新しい発想が求められるのであろう。社員とともに会社も不断に成長を続けるラオックス。取材を受けていただいた方々から溢れんばかりの成長志向が感じ取られ、自分も努力を続けようと決心させられるようなエネルギーに満ちた取材であった。

【学生取材レポート】三井ホーム株式会社

取材:木原凛太郎、Che Alice、鈴木彪太

文:木原凛太郎

取材先:三井ホーム株式会社 人事部 人材開発グループ 塚原知宣様

業界:住宅

 

 三井ホームは、1974年創業の、注文住宅専門のハウスメーカーである。2×4工法を強みとして、長く選ばれ続ける住宅メーカーである三井ホームの塚原様に、現在の業界構造とこれからの展望、そしてその変化に対応していくために必要な人材像を聞いた。

 

 -建設・住宅・不動産業界とはどのような構造になっているのですか?

 「建設・住宅・不動産業界の企業は、主に仲介・デベロッパー・ゼネコン・ハウスメーカーの4つの業務内容に分けられます。仲介はその名のとおりビルや土地建物の売買の仲介を行っており、デベロッパーは、都市開発のような大きな企画を行っています。残りの二つは実際に建物を建てる仕事をしており、ゼネコンは高層ビルや大型施設を中心に、ハウスメーカーはマン戸建てやマンションなどの住宅建設を中心に行っています。

 

 三井ホームはハウスメーカーとして、戸建て住宅、中でも注文住宅を主に取り扱っています。注文住宅というと、同じ物件というものは無く、ひとつひとつがお客様のオーダーメイドのため、価格は少々高めになりますが、その分お客様にとって理想の家ができます。」

 

 

 -現在のハウスメーカーの市場はどのようになっていますか?

 「家というものはそう何度も建てるものではないため、人口減少下の近年でも着工戸数は簡単に増えるものではありません。家を建てるということはすなわち職人さんのような、様々な面で関わる人の雇用を増やす機会になります。ですから、国としても不景気の時こそハウスメーカーに支援をしてくれる場面は多いです。逆に景気のいい時に家を買うと金利が高く、ローンの返済額が大きくなってしまうのであまりお勧めしませんね(笑)

 

 近年では、小規模工務店が縮小し、大手企業が業績を拡大している業界でもあります。大手企業は海外にも進出しており、三井ホームの海外事業はほとんどが北米に集中しています。なぜハウスメーカーが海外進出できるのかというと、日本の家づくり技術は世界的にも評価されているからです。地震や台風、豪雨など、私たち日本人を取り巻く環境は厳しいですよね。その結果、過酷な環境に耐える家づくりの技術が磨かれ、世界に通用するようになったのです。」

 -同業他社との違い、三井ホーム独自の強みは何ですか?

 「三井ホームの物件は、同業他社と比べると平均2割くらい高い値段で建築されています。そのため私たちがターゲットする顧客は富裕層の方々が多いです。お客様の拘りに応える良い家を提供することに専念しています。それを踏まえたうえで、三井ホームの物件の強みは3本の柱からなります。一つは耐震性、次にデザイン性、そして快適性です。木造住宅・全館空調という点からこのような強みを実現しています。

 それから、三井ホームではメンテナンスやリフォームなども一括で取り扱っている点も強みといえます。これらがなければ物件の価格も安くはなりますが、それでは安心できる住まいづくりはできません。

 『快適さ』の面で言うと、木造の強みが出ます。木造の建物内では脳の集中力が上がるなどの科学的な実証がなされています。また、あまり大型ではない3、4階建て以下の建物の場合は、鉄骨の建築物よりも、共振しにくく耐震性が強いため、安心してご利用いただけます。」

 

-業界全体のこれからの課題はどんなことが考えられますか?

 「これからの課題としては、少子高齢社会に対応していくことが挙げられます。高齢者の方の持つ土地の活用は、その一つの解決策になりえます。近年では病院や老人ホーム、保育園といった施設の建設にも力を入れています。そういった「人を預ける場所」はやはり預ける側にとって安心できる空間である必要があります。特に保育園では、その第一歩として快適でデザイン性の高い保育園を作り、『この保育園で働きたい』と思う人を増やすことで雇用を増やし、結果的に受入数が増えることで、保育園不足の問題にも対応できると思っています。」 

-海外戦略は、北米以外の地域での展開は考えていますか? 

 「今後は北米だけでなく、オーストラリアへの進出も考えています。その理由は、三井ホームの売りである2×4(ツーバイフォー)構法の家作りが主流だからです。木造建築には、梁や柱を組み合わせた軸組と呼ばれる作りと、2×4という壁構造の作りがあります。軸組みは風通しが良いという点、2×4は逆に断熱性に優れるという点が特徴です。日本を含む多くのアジア地域では、高温多湿に対応するため軸組み工法が伝統的に行われてきましたが、近年では2×4の作りが増えています。理由としては、温暖化が進む中、風通しだけでは暑さに対応しきれないことが挙げられます。それならば断熱性のある住居に変えて、全館空調にした方が快適です。他にも花粉対策や大気汚染の対策にも効果的です。このように、住居も時代に合わせて変化を遂げています。」

 

-最後に、学生に求めることやアドバイスはありますか。

 「三井ホームに興味を持っている学生さんには、「人が好き」「モノ作りが好き」という2軸を持っていてほしいと思います。私たちの仕事は、「人」のために「モノ」を作ることだからです。入社してからも税金のこと、土地のこと、家の構造のことなどさまざまなことを学ぶことになりますが、それらを吸収していくだけの向上心があるといいと思います。向上心を持ってたくさん質問してくれる後輩は育てやすいですし、自身の成長も早いと思います。入社後の職種は営業をやったり人事を担当したりと、働き方はさまざまです。ですから学生時代から、いろんな世界に足を踏み入れ、いろんな話を聞いてみてください。アルバイトやサークルなど、常に人と話せる場所に身を置くことで、幅広いことに興味・関心を持ってほしいと思います。」

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この度、業界のことについて非常に丁寧にわかりやすくご説明いただいた。取材を通して、日本の家、そして家づくりという産業自体が、グローバル化や地球温暖化といった時代の潮流に合わせた変化を遂げているということが理解できた。日本が誇るモノづくりの技術は、人々の暮らしを支え、安らぎを与えてくれる家においても、世界に誇れる水準を持っている。そんな日本の家づくり技術のグローバル展開と、ハウスメーカーの今後の成長が期待できることがわかった。特に、三井ホームのモノづくりと人への拘り、2×4の将来性を感じた取材となった。

 

【就活生にとって1番重要で1番軽視しがちな自己分析】

先日開催した「業界選びに役立つ自己分析講座」では7人の19卒就活生が参加してくれました!

 

就活における自己分析は2種類あります。
1つ目は、自分にとってよい企業を見つけるための自己分析
2つ目は、行きたい企業に入るための自己分析

 

この講座は業界選びに悩む就活生が集まってくれたので、自分にとってよい企業を見つけるための自己分析を実践!
具体的には、
・モチベーショングラフ
・探索行動
これらを用いて自分の楽しめる出来事の特徴をとらえよう!というものでした。

 

イベント後、参加してくれた学生からはこんなコメントがありました!
・自分のことを振り返る事ができた
・自分のことを他の人にレビューして深堀してくれた。
・自分の知らなかった一面を知ることができたからよかったです。
・わかりやすくて感動っ

 

自己分析は他にも様々な方法があります。
WEBで自己分析について調べてみても、よく分からない
という人がいたらまず一度、先輩に聞いてみると良いです。

ミンスタではいつでも個別相談を受け付けています。
18卒の先輩や、様々な企業、業界のコンサルを経験された社会人の方々に
何でも相談できる機会です。気軽に使って見て下さい!

 

 

【個別相談申し込み方法】

①ミンスタ公式ラインと友達になる(ID:@minsuta)

②ミンスタラインにメッセ―ジを送信
※大学・学年・名前を添えてください

③その後、希望日程や相談内容を調整しましょう!

IR資料ワークショップ

 11月30日、金融リテラシーのセミナー講師や投資家として活躍している羅愛貴さん(早稲田大学商学部4年生)をお招きし、IR資料ワークショップを開催しました。
羅さんは高校時代から株式を通じた企業分析をはじめ、どんな企業でもガラスを通して中を見るように解説してくれるプロ顔負けのスキルの持ち主です。
・日本証券新聞記事寄稿
・中央大学法学部 講演会講師「金融リテラシーについて」
など、多方面で活躍されています。
ワークショップでは、IT資料という投資家向けの企業情報をどのように
見れば投資や就活の際に役立てるのか教えて頂きました!
コンビニ2社を具体例に、経営戦略の違いを考えるワークをしたり、
実際に投資家として目を養う方法などを学びました。
参加してくれた学生さんからはこのようなコメントを頂きました!
・企業研究の仕方が分かった!
・投資をする際に何を調べたら良いのか、詳しく知ることができた。
・企業の比較の仕方・戦略、四季報の具体的な見方などの説明がわかりやすかったです。
投資に興味を持っているけれど、実際に何をすればいいのか分からないと思っていた学生も羅さんのお話を聞いて次へのステップを学ぶことが出来たと思います。またIR資料は就活をしていく上でも役に立ち、就活生はIRの活用方法を学ぶことができました。
今回は投資に興味のある学生や就活生に対してIR資料の活用法を教えて頂きました。
ミンスタでは他にも様々なセミナーをしているので、ぜひ気軽に足をお運びください!
【特別講師】
羅羅愛貴さん(早稲田大学商学部4年生)
・日本証券新聞記事寄稿
・中央大学法学部 講演会講師「金融リテラシーについて」
など金融リテラシーのセミナー講師を務め、投資家でもあり学生起業家としても活躍中

【イベントレポート】 元アクセンチュア代表のトークイベント『コンサルファームでキャリアを重ねられる人材』

 

 

去る11月2日、コンサルティングファームとして名高いアクセンチュア元代表海野恵一先生をお招きし、開催したセミナーの内容をレポートします。2時間を超える熱演でしたが、本稿ではその様子をお知らせします。

このセミナーは、コンサルティング業界に興味をもっている学生向けに開催しました。大手コンサルファームでキャリアを重ねられる人材とはどのような人材なのか?どういったスキルが求められるのか?また、人脈の築き方などを語っていだだきました。

2時間を超える熱演でしたが、本稿ではその様子をお知らせします。以下、お話をいただいた内容をもとに編集しました。

 

戦略コンサルティングの仕事とはどのようなものか?

 

特に男子学生にとって、もっとも人気の高い業界の一つが戦略コンサルティングです。ここで少し、コンサルティングの業界を整理してみましょう。

 

まず、4象限からなるマップをイメージしてみてください。縦軸に取り扱う事業領域、戦略中心(上)か、システム中心(下)か。次に、横軸に業務を置き、リサーチ中心(左)かコンサルティング中心か(右)に分ける。この中のどこに位置するかによって、どんな特徴をもったコンサルティング会社なのかが大体分かります。アクセンチュアはその中で、上流の戦略から下流のシステム構築までを実施する総合コンサルティングファームです。

このような位置づけになっているので、アクセンチュアの組織はコンサルティング部門とシステム部門に分かれています。コンサルティング部門が戦略を立案し、それを確実にシステムに落として業務が完全に流れていくようにシステム部門がシステム構築を行います。

 

海野恵一先生のアクセンチュアでのキャリアの研究

 

アクセンチュア日本法人トップまで昇りつめた海野先生の仕事のスタイルを研究すると、戦略コンサル業界で必要なスキルや行動が見えてきます。

 

まず、海野先生のキャリアは、システム部門から始まりました。当時、トップ・エンジニアの月単価は800万円だったといいます。(今はもっと低い)その中で、世界の製造業の手本になっているトヨタのカンバン方式と言われている手法をコンピューターシステムとして具現化したのが海野先生です。また、インターネットの黎明期にソニーのメールシステムを構築したのも数多くある実績の一つです。

 

海野先生は、普通のエンジニアと何が違ったかというと、普通はコードを書く量が一日1,500行に対し、5,000行を書いていました。すさまじい集中力と、仕事量ですが、なぜこれができたかというと、ほとんどの時間を仕事に費やしていたからです。なんと先生は8年間もベッドの上で寝たことがないそうです。これを海野先生は「仕事が好きだったから」とさらりと言います。今ではこんな働き方をブラックと言いいますが、好きでやる分にはそんなことも関係ないというわけです。

しかし、現実的にコンサルティン会社では、顧客以上に顧客の業務に精通しなければならず、担当する顧客の業種もまた増えてくる。また任されるクライアントも大きくなってくるので、要求される仕事のレベルがどんどん上がってきます。

では、海野先生はどのようにキャリアに適応してきたのでしょうか。それは上司を見て仕事をしていたということです。「前乗りして見ていればわかる。」と海野先生はいいます。

つまり、上司がどんな仕事をしているのか詳細に観察し、取り組んでいる課題や、対処方法について研究するのです。その内容をシミュレーションしておけば、自分がそのポジションになったときに対応できるようになります。

 

コンサルティングとは戦争である

 

企業経営の観点では、ライバルとの競争に勝つためには、無駄なコストを削り、少しでも利益が出るようにマネジメントしていくことが必要です。

一方において、今まで自分がやっていた仕事がなくなる事業部や、社員が出てくることになります。結果、仕事がなくなる事業部は、コンサルティングに協力的ではないという事態が発生します。こんな場合には、企業経営者を介して、事業部の担当役員を変えてもらうといった荒療治も必要になる場合があります。まさに抵抗勢力との闘いです。

その時、現場にはアクセンチュアからコンサルタントを何人も送り込みます。コンサルタントにはこのような状況で、圧倒的な業務の量と、顧客企業とのコミュニケーション上の負荷がかかり、耐えきれず、体調を壊し退職していくメンバーも少なからず出てきます。つまり、実際には相当苛烈な仕事だと言えましょう。

 

気になる年収は?

 

しかしながら、そのハードワークの代償として年収は高いし、成長もできることは間違いありません。海野先生が代表を務めていた頃の報酬は2億円だったそうです。「ただ、それでも全然高くないよ」と海野先生は言います。コンサルタントの年収は、成果に対して支払われるもの、だから、もともと100億円規模の事業で15億円のコストダウンに成功すれば、5億支払ってもよいという話になるのです。

つまり、企業経営の上流の課題に関わっているので、少人数で上げられる成果が大きいため、コンサルタントに支払われる報酬は大きくてもよいということになります。

 

仕事のポリシー

 

海野先生は「かっこいい生き方がしたかった」と言います。海野流のかっこいい生き方とは、逃げないこと。そして、上司や部下を裏切らないこと。コンサルティングには失敗がつきものです。ミスがあっても組織や部下の責任を背負う。そして、上司や部下の失敗をカバーし、最後の一人になっても戦い抜くということです。

生き様として、このスタンスを貫いたことで、顧客からの信頼を勝ち取り、海野先生はトップへの道を歩んでいきました。どういう表現をするかは別にして、最後まで逃げずに責任を取るというのは、組織のトップに要求される普遍的な要件なのです。上に立ちたい人はいかなる場合でも逃げてはいけないということですね。

 

世界で通用する力

 

アクセンチュアは、海外拠点がありグローバルにコンサル事業を展開しています。すると、英語を駆使して仕事をしていれば、企業経営のノウハウは世界共通なので、世界中どこへ行っても活躍できるということです。かつ、世界での人脈を築くことができます。

海野先生自身は、この英語力を生かし、世界のリーダーの輩出機関、青年会議所のチェアマンとなりました。この結果世界の要人とのネットワークができ、それが退職後も継続しているといいます。

 

グローバルな世界での日本人としての矜持を教えるために海野塾を開講

 

日本人そのものが英語がネイティブではないので、世界で戦うにはビハインドを背負っています。深い会話をするには、TOEICは900点以上が必要だと海野先生は言います。これからのビジネスパーソンは英語で直接相手とやりとりできないと全然話にならないのです。

そのとき、TOEIC以上に重要なものがあります。つまり自分が何者であるかというルーツ、すなわち日本精神が語れる必要があります。「そういった矜持は、実は江戸時代には儒学を介して培われていました。それが幕末から維新にかけて日本人の精神、魂を全部捨て、実用的な知識に走ってしまった。」と海野先生は言います。先生は、現代の日本人に必要な矜持を「心の身だしなみ」と表現しています。

「塾では150年前に持っていた心の身だしなみをもう一度、150周年のこの時に取り戻そうとしています。ここでは江戸幕府時代に持っていた儒学を改めて教えています。大学では知識を教えますが、知恵は教えません。勉強しなくても生きていけますが、それがないと皆さん人生の大きな転機に対応できません」。世界を切り拓いていてきた先駆者、海野先生はこう語っています。

 

 

学生からの質問

 

Q:仕事が好きになるとはどういうことなのでしょうか?

 

A:究極的には忍耐やあきらめということになります。女性を好きになることと同じように考えればよいのです。相手からどんなに言われようが、それを含めて好きになる努力をすることです。ある面、それには強靭な精神力が必要ですね。

 

【プロフィール】

海野恵一(うんの・けいいち)

東京大学経済学部卒業後、アメリカの監査法人アーサー・アンダーセンに入社。アーサーアンダーセンがアクセンチュアに商号変更後、アクセンチュア代表取締役。

アクセンチュア退社後に、スウィングバイ株式会社を設立、代表取締役社長に就任。新速佰管理咨詢(上海)有限公司董事長、大連高新技術産業園区招商局高級招商顧問、大連市対外科学技術交流中心名誉顧問、無錫軟件外包発展顧問、対日軟件出口企業連合会顧問、環境を考える経済人の会21事務局員を務める。

現在、経営者育成を目的とした「海野塾」や、各種講演・セミナーなども含め、自己の向上や国内外の企業・社会のために精力的に飛びまわっている。

2001年 アクセンチュア 代表取締役

2004年 スウィングバイ株式会社 代表取締役社長

2004年 天津日中大学院 理事

2007年 大連市星海友誼賞受賞

2012年 海野塾塾長

 

著書

『本社も経理も中国へ』ダイアモンド社

『これからの対中国ビジネス』 日中出版

『2020年、日本はアジアのリーダーになれるか』 ファーストプレス

『日本企業はアジアのリーダーになれるのか』 ファーストプレス

『日本企業は中国企業にアジアで勝てるのか?』日本ビジネスプラン

『男としての心の身だしなみはできているか?』スウィングバイ株式会社

『アクセンチュアでどのようにして代表取締役になれたのか?』同上

『Major Controversial Issues at WWll』 (英語) 同上 (5月出版) 他多数

 

 

 

 

 

やりたいことを将来、仕事としてやり続けるためには  プロチェス棋士 岩崎 雄大 氏

 

学生にとって、好きなこと、やりたいことと、それで将来、実際に食べていけるのかどうかは、キャリア選択の悩みの一つだろう。そこで、やりたいことをやり続ける方法を東大卒のプロチェス棋士 岩崎氏を招き学生に語っていただいた。

 

 

意外と知られていないが、世界のボードゲームの中では、競技者が7億人もいて、ダントツの人気を誇るのがチェスである。世界150か国に連盟があり、地域的な裾野も広い。

しかし残念ながら、日本でレーティング(将棋の段のようなもの)を持っているプレイヤーはわずか150人しかいない。岩崎氏はその上位に位置するプロであり国際大会に出場しながら、チェスを広めるために日々奮闘している。

岩崎氏とのチェスとの出会いは、中学時代のチェス部にはじまる。負けず嫌いの氏はここでチェスにのめり込む。そして、対局を重ね、技術を磨き、国際大会に出場するようになると、ますますチェスで身を立てようと思うようになる。

ところがチェス人口も少ないわが国ではプロチェス棋士という職業だけでは生活できない。そこで、もともと数学が好きだったこともあり、個人事業主として、岩崎理学系教育研究所を設立。教員や塾講師をやりながら、あるいはチェスの教材を作りながら、最もやりたい仕事であるチェスプレイヤーを続けることにしたのだ。

チェスに限らず、学生がやりたいことを将来貫き、継続するにはどうしたらよいのか?岩崎氏のキャリア形成方法は一つの参考になるだろう。

 

チェス棋士への道

 

岩崎氏のもともとのボードゲームとの接点は将棋だった。小学校の頃から、父親とよく将棋を指していたのだが、いつもボロ負け。その後、名門麻布中学に進学すると、将棋に負け続けた悔しさもあり、父親を超える分野はないか、また人がやらない分野はないかと探し、あえてマイナーなチェス部に入部した。最初はあまりパッとしなかったが、徐々に勝てるようになってきて頭角を現していく。

麻布中学は中高一貫校なので、そのまま高校に進学すると、1年生の時に、いよいよ海外に遠征のメンバーに選ばれた。やはり国際大会には何とも言えない高揚感があり、各国を代表する同年代のプレイヤーたちも近づき難いほど、殺気立っていて真剣勝負になる。このような檜舞台を経験するうちに、氏はチェスを軸にして、食べていきたいなと思うようになった。

そこで高校生時代から、チェスと両立できる仕事は何かを考えはじめたのだ。「自分は、人に教えたりするのはそんなに嫌いじゃなかったし、数学も好きだし、教員になるのが最適」と思い至る。そこで、教員免許を取るために東大の数学科に進学した。「ぶっちゃけ、母校麻布で数学の先生になったら一生安泰。しかも、チェスに強い生徒を育て国際大会に引率で出れる」とその時の心境を明かす。

ところが、教員は終身雇用なので枠が空かないとなかなか雇われない。「その時は枠がなかった。ちょっとタイミングを逃してしまいました。」と岩崎氏は笑う。

それで、大学院に行くかどうするか悩んだ結果、チェスの最強国ロシアへ修行に行くための留学を決める。学費とかもろもろ計算したら考えたらかかるお金は同じ。しかも、全くコネクションが無い状態でもなく、チェスの先輩でロシア語を学んでいた人もいてロシアに留学することにしたのだ。

留学でさらに腕を上げ、帰国後は、日本代表として国際大会に3回出場を果たした。「もし、麻布の教員になっていたら今の自分はなかったですね」と氏は振り返る。

 

直感を重視する生き方

 

岩崎氏は予想に反して、計画を立てることが好きではない。授業でも教えるための予習をしないほうがうまくいくらしい。「大体ここまでやればいいなとざっくり決めておく程度。どうも自分は直感派だ」と岩崎氏は言う。きちんと予習した方が上手くいく人と、直感で話した方が上手くいく人がいるそうで、実際、氏は準備するとあまり上手くいったことがないらしい。

準備するとやる気が出ないし、こんな質問したら、こんな答えがかえってくる。「こう言われればこう答えると想定するわけだが、でも想定外の事態出るでしょって、結構自分の中で思ってしまう」。その場だとなぜかインスピレーションが湧いてくる。「人生、あまり深く考えないほうが良い結果が出る場合もある」と岩崎は言う。

直感を重視するようになったのはこうした性格面だけではなく、別の背景もあった。明日、自分が死ぬかもしれないという体験を経たからだ。

「明日の朝、自分が死ぬかも。明日、目が覚めなかったら、自分はどうなるのか。と本気で考えたことがありますか?」と岩崎は真顔で問いかける。「実は、27歳の時に、心臓の手術をしている。朝一番の手術で、普段めちゃくちゃ寝つきが良いのに、ほんとに生まれて初めて一睡もできなかった」。

医者は大丈夫ですよ。99%以上の成功率で、後遺症がある確率は1%以下ですという。「客観的な数字だけ見たらそうかもしれない。でも絶対ってない0コンマ何%があったらどうするのかと思いましたね」。

明日、死ぬかもしれないという体験を通して、岩崎氏は逆に吹っ切れたという。今後後悔しないためには、今、全力を出し切る生き方をしようと。それまで、ロシアに留学したのだって、チャレンジしているつもりになっていた。

でも留学などはあくまで、学生生活の延長にすぎない。「やってしまって失敗したことじゃなくて、やらなかったことに後悔するのは絶対に嫌だと思いましたね。その後は、何か言われたら、何でもyesと言うことにしました。後で、なんで引き受けてしまったのだろうと思っても、そこに学びがあり、得るものがある」。こうして、直感を重視し、今を全力で生きる岩崎流の生き方が生まれた。

 

チェス棋士に必要なスキル、先を読む力とはどんな力なのか?

 

チェスと言えば、相手の何手先を読めるかが重要なスキルだろうと素人目には思える。しかし、岩崎氏に言わせれば「先を読むっていうのは、ちょっと感覚が違っている」。こういった駒の配置が理想だという姿があって、今の状況がこうなっている。

だから、あるべき姿と、今とのギャップを埋める必要がある。それで理想の状態を実現するために手を打っていく。「実はチェスでいう読む力というのは、絵を描いた状態にどうもっていくかという力なんですよね」。

実際に、チェスの試合に出てくるような盤面は、すごく絵的にバランスが取れていて、ほぼ一瞬で覚えられるらしい。脳科学的にいうと、人間が人の顔を認識しているときと脳波の出方が同じだという。人の顔のように局面に顔があるとも言える。顔を覚えるように過去の盤面の資料を読み込んだりするのだ。

 

 

やりたいことができる個人事業主という選択肢

 

さて、岩崎氏を働く人として見ると、個人事業主つまり自身の事業の経営者になる。個人事業主はやりたいことをやるための事業形態ともいえる。「今、個人事業主含む経営者と、サラリーマンの比率でいうと経営者が1割強、サラリーマンが9割弱といった状況。実は、めちゃくちゃ異常なことです。」と岩崎氏は言う。

1960年代の前までは、5対5だった。当時は高度経済成長を確保するため、企業の福利厚生を充実させ、生涯雇用を保障するとして、たまたま特殊な事情で企業に人を呼び込んだ。これから働き方は変わって、終身雇用はなくなり、や経済成長が終わって、人口が減少していく。「雇用されるのが、もちろん悪いわけじゃないですが、そこにいれば一生安泰でもなくなった。その中で、どう稼ぐ力をつけるかが1番大事。そのうえで、やりたいことをどうやってやっていくか」。

チェスを続ける人とやめる人の違いでいうといろんな事情があって、一概には言えないが、チェスを辞める人って、要するに、完全主義の人。仕事が忙しければ空いた時間を使ってスキルアップし続ければよい。

「今や、個人が起業する成約は何もなくなった。例えば、you tube は個人のテレビ局を持っているようなもの。その気になれば稼ぐことは可能だ。とは言え、いきなり起業するのではなく、うまくいったらこっちに乗り換えようでよい。実際ビル・ゲイツも、ジェフ・ベゾスも最初はサラリーマンだったのですから」。

まず、できることからチャレンジして、完璧を目指さず着実にスキルアップしていく、うまく行ったら個人事業主になるというのが、やりたいことをやり続けるポイントのようだ。

 

●プロフィール

岩崎 雄大(いわさき ゆうだい)

日本チェス協会棋士 五段

 

東京大学理学部数学科卒業

チェス以外の趣味はピアノ。

チェスと数学と音楽を統合した新しい形の教育活動を模索している。

 

2002年 ブレッドチェスオリンピアード代表

2003年・2004年 学生チャンピオン

2006年 全日本選手権3位、トリノオリンピアード代表

2006年から2007年にかけてロシアへチェス留学

2008年 第1回ワールドマインドゲームズチェス日本代表

2010年 『チェス錬磨之書 第壱巻 チェス入門』出版、チェス教則DVD『チェス道場 初級編』発売

2012年 イスタンブールオリンピアード日本代表

2014年 4月より半年間、毎日小学生新聞にてコラム『目指せチェックメイト』を連載

その他指導経験多数

 

刀匠秀平氏、刀とキャリアについて語る

 

刀工銘:秀平(ひでひら)、本名:根津 啓(ねづ けい)氏は、国内で約200人の刀工の中でも、さらに50人しかいない刀専業の刀鍛冶でいわばプロのプロ。刀のコンクールでは経済産業大臣賞など多くの賞を受賞。

高校生のとき名刀 観世正宗(かんぜまさむね)と運命的に出会い、その瞬間、刀鍛冶になることを決意。大学では、刀に関係する材料工学を専攻するなど、技能一辺倒の職人ということではなく、理論的な素地も修得した。刀作りは修行の一環という氏の話は職業観としても深い含意がある。

今回、学生のキャリア教育のため、スキルアップの本質を学びたい学生や、技を極めるスペシャリストを目指す学生のために、刀作りの道とキャリアについて語って頂いた。

 

刀について

 

今、長野に仕事場があり刀鍛冶をやっています。もともとは東京都出身なのですが、父の転勤で札幌に行き、そのまま北海道大学工学部で材料工学を修めました。

刀を作るにあたっては作刀承認という資格取得のプロセスがあり、その試験があります。合格すると、作刀して人に売っても良いことになります。そのため、長野県の坂城町というところで師匠について5年間修行しました。

刀工になったあとは4年間の御礼奉公があり、そのまま県内の長野市に仕事場を作りまして、初めて自分の炉に火を起しました。想像の通り冬は雪が深いんですが、結構田んぼも多くて、お米とりんごも採れるといった、自然に恵まれた静かな環境です。

 

日本刀の成り立ちについて

 

刀というと時代劇とかのチャンバラシーンのイメージが強いかもしれません。実際武器でもあるのですが、古来の三種の神器にも剣があるように、いろんな公事や信仰にかかわる場面でも使われたりしています。儀仗といって装束として身に着ける刀剣もあったり、将軍家に献上するとか、下賜されるとか、権威の象徴としての刀剣や、贈り物としての刀剣もあります。

このように非常に多様な活用のされ方をしています。一例を紹介すると、聖徳太子が帯びていたという節刀(せっとう)は摂政としての権威を象徴するものでした。聖徳太子の佩刀といわれている丙子椒林剣と七星剣は現存していて今でも博物館で目にすることがあります。

また、鎌倉時代からは、刃紋をしっかり見るための研磨も施されるようになってきました。そんな事からも武器としてだけではない刀剣の存在価値が分かります。海外の刀剣では、鞘に宝石をちりばめたりして装飾を施しますが、日本刀のように刀身に精緻な研磨はされていません。

刀身に実用のために必要な以上の研磨を施して、その刀剣に本来備わっている魅力を引き出して味わうというのは、日本刀独特の慣習で、日本だけの文化です。

 

刀づくりの職人たち

 

さて、日本刀を身につける時には様々な装飾が施された拵え(こしらえ)に刀身を入れ、それ以外の時には白鞘に刀身を入れておくという習慣が昔からあります。そして私たち刀鍛冶は、その刀身を作る専門職人なのです。つまり工程ごとに、いろいろな専門職人たちが連携して作刀していきます。

例えば、専門の炭を焼く人。鉄を熱するときには赤松の炭を使います。結構軽くて、風を送ると火力が強いのですが、すぐ燃えてしまうので炭を大量に用意しておく必要があります。

つぎに、刀身の素材となる玉鋼(たまはがね)をつくるのが、たたら師。「もののけ姫」にも出てくるのでイメージが湧くかもしれませんが、たたら製鉄と言って独特な作り方をします。実際に、私も島根の奥出雲町で操業されているたたらで生産された玉鋼を買っています。

それから、刀身の大体の形をつくるところまでは、刀鍛冶の自分がやるんですが、刃紋や地鉄が綺麗に見えるように研磨するのは専門の研師(とぎし)の仕事になります。彼らも修行しているんですが、研ぎだけで10年や15年の修行が必要です。

それから刀身彫刻師などもいまして、龍や梵字を彫ったりします。そのほかにも鞘師、鞘に漆を塗る塗師、ハバキという金具を作る白銀師。さらに、柄巻師、組紐師と言った多くの専門職人の手を渡りながら刀は出来ていきます。

 

 

刀鍛冶の仕事

 

いよいよ私たち刀鍛冶の仕事を紹介します。まず、たたら製鉄で材料ができるところから説明しましょう。昔のたたら場には炭がよく燃えるように人が踏んで、風を送る蹈鞴(ふみふいご)というものがありました。その蹈鞴を当て字でたたらと読むのです。

そのうちだんだんその製鉄する場所全体をたたらというようになった。粘土でつくられた炉に、木炭と砂鉄を交互にくべていって風を送る。三昼夜くらい続けてやるんですが、そのふいごを踏んでいる人を「番子」といいます。

当然、三昼夜体力は持ちませんので交代します。実はかわりばんこという言葉はここから来ています。三日三晩燃やして、やっと粘土の炉の中に、大きさが縦横畳1畳くらい、厚み20~30センチの「ケラ」と呼ばれる鉄の塊ができます。それを毎回炉を崩して取り出すのです。熱いうちに、そのケラを水の中に入れて冷やします。

で、そのケラの上に大きな鉄の塊を落として砕きます。これが材料となる玉鋼です。今の高炉では鉄鉱石とコークスを原料とし、2,000℃以上でどろどろに融けた鉄が出来ます。たたら製鉄は1500〜1600℃で、完全に溶けきらない状態。溶け切ってないので、ムラが残っている。ムラがあるから、鍛錬が必要になるわけです。私たちは、その砕かれた状態の玉鋼を材料として購入します。玉鋼の破面を目で見て、鉄質を判断します。

玉鋼は、鍛刀場の火床(ほど)と呼ばれる炉で、炭を燃料として少しづつ赤めては叩くという作業をしていきます。火床の横にはふいごがあり、中に弁がついていて、取っ手を押しても引いても、常に風が送れるようになっています。羽口と呼ばれる穴から風が出るようになっていて、鉄が融ける程に温度が上がるのは、穴の付近だけです。刀は長いので火床に入れながら、叩く部分だけを赤く加熱していくことができるようになっています。

さて、火床に火を起こすためには、炭が必要ですが、炭を買うと薪ぐらいの長さ、太さでそれを自分で切りそろえる必要があります。炭を大量に使うので、それが結構一仕事になります。大体1.5〜2cm角や3cm~4cm角に切りそろえるという作業をします。同じ大きさに切らないといけなくて、弟子入りするとまずこれをやることになります。昔から炭切り3年と言われていますね。

それで、この炭で熱しながら、刀をつくるわけですが、刀1本の重さは1kg弱ぐらい。これに対し玉鋼を10kgくらい使います。炭のほうは、大体300kg使います。

玉鋼の塊を先の火床で加熱して、真っ赤に熱して、水の中に入れて硬くする。固くしたものを割ってみて、割れ口を見て、刀身のどの部分に使うかをここで決めます。これらを鍛錬していくのですが、昔は7kgの重さがある向こう鎚で叩いていました。

向こう鎚の場合には、鎚を振り上げて、手慣れた人3人くらいで叩きます。今は 機械(スプリングハンマー)を使います。ある程度細くなってきてからは、手鎚で叩きます。次に、割った鉄を積み重ねて、和紙でくるんでから泥とわら灰を着けてそれを加熱します。空気に直接ふれると、炭素が燃え、そこだけ柔らかくなったりしますので、空気から遮断するという意味合いもあります。この工程を「積み沸かし」といいます。

積み重ねたものを加熱して、スプリングハンマーでそれをたたくと、ばらばらだったものがくっついて一塊になります。そこから長く伸ばして、折り返す、折り返してはまた、藁灰と泥をつけて加熱するというサイクルを繰り返します。最初の積み沸かしのときは、バラバラのものが積んであるだけなので大変なんですが、一塊になってからは、加熱する時に回したりできるようになるので楽になります。

ところで、この鍛錬時の加熱を「沸かす」と表現しますが、その意味は、鉄が溶けるちょっと前の温度になると、じゅくじゅくしゅわしゅわ沸いてるような音が聞こえるところからきています。

さて、鍛錬していく鉄の塊の固さは一様ではありません。刀は折れないように、刃先が固く、真ん中に軟らかい鉄が入っていて、棟側には弾力もあるという造りになっています。つまり、硬さの違う鉄を接合していくのです。この工程を「造り込み」といいます。

どうやるかというと、適切な硬さに作り分けておいた硬い刃の部分(刃鉄:はがね)と、側面にくる部分(皮鉄:かわがね)を、芯となる部分(心鉄:しんがね)に鍛接し、藁灰と泥をかけて沸かしながら徐々に延ばしていく作業です。一定の長さまで延ばしていくと、次は、刃の方を薄くする工程です。最初に、きちんと計算しておかないと、叩いてみて、ああ、細すぎたといっても戻せません。最初に仕上がりをイメージして、きちっと計算したうえで、1か所ずつ赤めては叩きというのを、二往復なり三往復なりします。

形ができると、全体を均一に赤くしてゆっくりと冷ます、「焼き鈍し」という工程です。灰の中につっこんで、ゆっくり冷ましていきます。これで組織が均一化されてくるのですね。焼き鈍し後の刀身の曲がりや捩れを取ってから、やすりとせん(工具)を用いて表面を整えます。

次が、「焼入れ」。刀身を赤めて、水にいれて急冷します。その時に、焼き刃土(やきばつち)といって、粘土、砥石の粉、炭の粉を混ぜたものを刀身に塗っておきます。これを刃先だけ薄く、他は厚く塗ります。薄いところは急激に冷え、厚いところはゆっくり冷える。これで刃先だけ硬くなり、刃紋ができる。研師が研いだ後の、仕上がりを大体見越して、刃紋がこういうふうになるだろうと、いろんな塗り方で調整していくのです。

焼入れが済むと、反りの調整をしてから曲がりを直し、それから鍛冶押しといって、粗い砥石で刀鍛冶自身が研ぎます。鍛冶押しで大体の形がきまると、その状態で研師さんに刀身を引き渡します。研師さんがある程度研ぎ進めてから、白銀師さんがハバキを作り、次に鞘師さんが白鞘を作って、それからまた研師さんのところに戻って、研師さんが刀身を研ぎ上げます。そうしてようやく一振りの刀が完成します。

 

刀匠の仕事の醍醐味は?

 

仏師さんは自然の木の中に仏を見出して彫るという話を以前にどこかで聞いたことがあります。仏師さんは、材料の木の中に元々いる仏様を感じていて、それを掘り出していく。刀作りもその仏師さんの仕事に近い要素があると思います。元々そこにあるものを顕現させるという意味では、刀の世界では研ぎ師さんがその役割を果たしています。

とすれば、私たち刀鍛冶は仏を宿す段階をやっているのです。これが刀鍛冶の醍醐味というか、この仕事の面白いところですね。鉄を練り鍛える過程で鉄に命を宿せたかどうか、その工程が面白い。上手くいったらいい刀ができる。

そしてまた、研師さんの研ぎ方によっても、魅力が十分発揮されることも、されないこともありますから、研師さんとのコミュニケーションが重要になります。

また、技術的には、鍛錬工程でも、造り込み工程でも、上手くくっつかず傷が出る場合があります。くっつけて伸ばしていくと、一流の人は当然傷が出ることが少ない。傷が出てくると、製品としては失敗です。上手い人ほど、失敗する確率は低いのですが、傷が出にくいやり方もないこともない。

しかし、傷が出にくい方法で堅実にというか、保守的にやっていると、面白い刀ができない。作風もありますが、とにかく攻めていくと結構傷が出やすかったり。そういう、攻めるかどうかのぎりぎりの繊細な調整が必要になります。

 

 

なぜ刀鍛冶を選んだのですか?

 

なぜかと言われると困るんですが、幼少のころから工具とか刃物に興味がありました。中学のときに、趣味でナイフの自作とかもしていて、日本刀にも漠然と興味はありました。高校生だったある日、日本国宝展があり、何か刀が出ているんじゃないかなと思い、観に行ってみました。その時衝撃の出会いがありました。名刀として伝わっているものには名物といって刀自体に固有の名前がついていますが、その中でも、正宗が作った観世(かんぜ)正宗という呼称がある一振り。その刀に出逢って、刀鍛冶になろうと決心しました。

直感的にその時に思ったのは、そういうものを作ることができる人間になりたいということ。刀だけに限らなくても、直感的にこうだなと答えが見つかるときがあります。その時点では理由は分からないんですが、後からその理由が分かってくる。私はそういうことが多いです。もっといいものがあるんじゃないかと思って探しても、ない。絵でも彫刻でも何でも、作った人の人間性が現れてくる。

その現れる人間性とは何かというと、根源的なのでなかなか言葉で表現できないような魂の色合い、質感みたいなもの。そういうものを実際に、古い刀を見ていても、今の刀を見ていても感じます。つまり私の場合、刀を見るときって結構人に会っているような感覚に近い。そういったものに惹かれたのです。

 

修行者のような心とはどういう心でしょう?

 

心って説明するのが難しいんですけれど、軸足と言うとわかるかと思います。普段の考え方、感じ方の軸足がどこに置かれているか。自分がどう思うかという軸足と、自分が読み取った道理のようなものがあってそれを読み取るという軸足は、基本的に違う。自我の取り扱い方が違うんですね。自分はどう思うかで動くのと、道理に従って動くのでは大きく違います。

例えば、読み取った道理に従うというところに軸足があると、仮に苦しい道であっても適切な方向であると思うならば、その苦しい方に行きます。でも反対に軸足がある人、自分がどう思うかを軸にする人だと、痛いのは嫌なのでそういうことはしない。修行者のような気質というのは、そういうニュアンスで言っています。

逆に、自分がどう思うかを軸に動く人だからこそなし得ることというのもありますけれど。どちらにせよ、人間なので完全にどちらかに寄りきっているということはなくて、度合いの問題ですね。

 

修行というものに根源的な希求があったのはなぜですか?

 

ごくごく古い時代の金属加工業を担っていたのは修験者のような修行していた人という説もありまして、今の実感としてはしっくりくるものがあります。もともと修行はしたかった。世の中には武術もあれば、お坊さんの修行、気功の修行、いろいろありますが、漠然と修行というものに惹かれていました。

それで、いろいろ試してはみたのですが、これも違う、あれも違うなと思いながら行きついたのがヨーガです。普通ヨーガというと、ハタ・ヨーガと言って、ポーズをとるヨーガが良く知られています。実際にはヨーガはいくつもあって、エネルギーをコントロールするヨーガ、瞑想するヨーガ、礼拝するヨーガ、日常生活をしながらのヨーガ、熟考するヨーガなど沢山あります。

生き物には輪廻があって、いろんな事を勉強し終え、その輪から卒業しましょうというのが大体のヨーガの最終目標です。経路がちがうだけで、皆そこを目指している。要は、山頂があって、登山口が色々あるわけです。私の場合はこれが合っていた。もとは、この修行によって、車の両輪のように刀を作ることにも活かされたりするかなと思ったんですけど、修行が侵食してきて、刀を作ることも修行の一部となっていった感じです。

 


 

人間として、古の名工たちに近づくこととは?

 

実際に昔の刀工が修験者のように修行していたかどうかは別として、今と生き方自体、生活自体が違いますよね。昔は、生き抜くために繊細な感性が必要不可欠だったろうし、鋭敏な感覚を持ち合わせていたに違いありません。専門職だと普通に生活していたよりも、さらに鋭敏な感覚が必要だったと思います。また、そういう感覚を持っていると、精神構造も変わってくると思う。

想像しかできないですが、私自身が修行していて、感覚のレベルが近づけば、名工であったその人の個人的な性格までは分からないにしても、精神の在り方がある程度こういう方向に向かうといったようなことは感じられるのではないかと思います。具体的にどのような人間だったかはわからなくても、昔の人たちの精神の在り方の方向性が分かれば、それで良いのです。

 

職人としてどのような自分になっていきたいか?

 

職人として、技法を練り続けたいと思います。ベースには修業先で習った作刀方法がありますが、その技法の中で上手くなるだけではなくて、繊細な感覚を駆使して、やり方自体を変える。ただそれは、1個変えると、そこだけ変えるだけじゃすまないことがいっぱいある。全体のバランスがくずれて、あれがおかしい、これがおかしいとなる。ちゃんと物を完成させるならあっちもこっち変えなきゃと付随して変えることになります。

例えば鍛錬回数だけ変えましたでは、それだけですまない事が多いのです。そういう意味で技法を練っていくなかで、道理が見えてくる。道理を繊細に覚知し、また更に技法を練るといったサイクルを続けられるような職人になりたいですね。

 

今職人になりたいという学生に対して何かアドバイスを

 

まず、情報収集は大事です。良い弟子入り先を探すことが重要。どこに弟子入りするかによって、半分きまる世界です。会社も同じだと思いますが、けっこうしっかり調べたほうがよい。あとはまあやってみないと分からないとは思うんですけど、いろいろ調べたりして情報収集するとしないでは全然ちがいます。実際には大して調べずに弟子入りすることも少なからずあるらしい。

しかし、弟子入りしてもやめちゃうと、採った側も、弟子になった側も良いことはない。私の場合はあくまでも刀鍛冶になりたかったわけですが、例えばもし刀に関わる仕事をしたいということであれば、研師とか、鞘師とか学芸員とかそういう道もあるのです。まずそういったところも含めて情報を収集するのがいいと思います。

あとは、全日本刀匠会という団体があって、そこに弟子入り希望者の問い合わせが結構来ているそうです。でも、例えばメールでの問い合わせにしても、一般的な礼儀というか、書くべきことが書かれていないことが多いみたいです。ごく一般的な常識、マナーというものも重要ですね。

 

プロフィール

刀工銘:秀平(ひでひら)

本名:根津 啓(ねづ けい)

http://hidehira-jpn.com/index.html#Section-6

昭和58年 東京都出身

平成18年 北海道大学工学部材料工学科卒業

平成18年 宮入小左衛門行平師に入門

平成23年 作刀承認

平成24年 第3回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」初出品 金賞第2席 及び新人賞受賞

平成24年 第7回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第7席 全日本刀匠会賞受賞

平成25年 第4回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 金賞第2席受賞

平成25年 第8回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第3席 長野県教育委員会賞 及び新人賞受賞

平成26年 第5回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 銀賞第1席受賞

平成27年 第6回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」経済産業大臣賞受賞

平成27年 第10回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第11席 全日本刀匠会賞受賞

平成27年 長野市信更町に秀平鍛刀道場を構え、独立

平成28年 第7回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 金賞第1席受賞

平成28年 第11回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第1席 岡山県知事賞受賞

平成29年 第8回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 金賞第2席受賞

平成29年 第12回 「お守り刀展覧会」総合の部 第2席 山陽新聞社賞受賞

刀身の部 第4席 テレビせとうち賞受賞

 

【就活生にまず始めてほしい”軸探し”とは?①】

 

【就活生にまず始めてほしい”軸探し”とは①】

~サマーインターンを終えたら次は何?早期内定を獲得した4年生が語る就活セミナーの報告~

 

 

9月23日、有志で集まってくれた18卒の先輩が
これから就活を始める3年生に対して就活セミナーを開きました。

9月の終わりの時点で就活に対して漠然とした不安を
抱いている3年生は多いのではないでしょうか。

特に何から始めればよいのか分からないという悩みを持っている人が多くいます。

この悩み根底には、
自分なりの就活のゴールを設定できていないという問題があります。

今回のセミナーではこの問題を解決するための効果的な取り組みとして
”自分の軸探し”について4年生に語って頂きました。

そもそも”自分の軸”という言葉について3年生はどれぐらい理解しているでしょうか。
たいての3年生は何となくでしか聞いたことがないと思いますが、”軸”の理解はとても大切です。

そこでまずは”軸”とは何か、先輩の話を聞いて理解を深めましょう。

 

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端的に言えば
”軸”とは、自分にとって良い企業を探すうえで必要不可欠な柱のことです。

 

自分にとって良い企業とはなんでしょう。
私たちは就活の経験から下の二つを兼ね備えた企業だと考えます。
①自分のしたいことが出来る企業
②自分の価値観に合う企業

 

①自分のしたいことが出来る企業

今3年生の中で、将来何をしたいのか、
どんな職業に就きたいのか決まっている人はどれぐらいいるでしょう?
将来何をしたいのか決まっている人は、
どんな業界に行きたいか、どんな職種に就きたいか見えている人が多いです。

将来やりたいことが決まってる人にとっては、将来やりたいことができる企業は
自分にとって良い企業と言えるでしょう。

②自分の価値観に合う企業

それでは将来やりたいことが決まっていない・漠然としている人は
何を基準に企業を選んでいけばよいのでしょうか?

将来の自分が見えないのであれば、今の自分の価値観を大切に企業を選ぶという方法があります。
今の自分(過去の積み重ねでできた自分)が働くうえで大切にしていきたいことはありますか?
その価値観に合う企業が自分にとって良い企業と言えるでしょう。

 

この二つの軸を紹介しましたが、どちらから見つければよいかは、
あなたが将来やりたいことが見つかっているかどうかで判断できます。

将来やりたい仕事が見つかっている人は、
①自分のしたいことが出来る企業を探す。
将来やりたいことが見つかっていない人・漠然としている人は、
②自分の譲れない部分を知る・価値観に合う企業を探す。

どちらのルートからスタートするかについて述べましたが、
最終的にはどちらも考え抜く必要があります。
2つの軸を兼ね備えた企業が自分にとって最善の企業だからです。

 

 

【軸がないとどうなる??】

・選考に落ちる
自分なりの軸がない人は他の人と自分は違うという主張ができません。
ありきたりな自己PRや志望動機になってしまい、個性や独自性のないES・面接になってしまいます。
自分の軸は就活の選考において聞かれる項目でもありますので、
自分の軸を語れるかどうかは選考に通るかどうかの決め手でもあるのです。

・終わりが見えなくなる
また就活には終わりがありません。終わりを教えてくれる人はいません。自分で終わりを決めるのです。
しかし軸のない人はもっといい企業があると思ってやめられなかったり、
就職先をどこにすればよいのか決められず悩み続けたりして、
延々と就活を続けるか。みんなが終えたから終わろうという曖昧な判断をしてしまいます。
自分なりに納得したうえで就活をスマートに終えるために軸はとても大切なのです。

 

【軸はなぜ就活において大切なの??】
①道しるべになる
業界や業種様々でありとあらゆる企業を片っ端から受けていくことはできることではありません。
自分にとって優先順位の高い企業や自分にとって良いと言える企業を
選んでいくうえで軸は自分を導く指標となります。

②選考の決定打になる
選考が進んでいく過程で必ず企業に質問されることが、
どうしてウチが一番なの?他の企業じゃダメなの?という質問です。
この質問に答えるには、同じような製品を販売している他社ではなく、御社でなければならない
理由を語らなければなりません。その理由を語るにはやはり、自分なりの企業を判断する軸が
欠かせないのです。軸がないと曖昧かテンプレート的な答えしか出せず、
選考に落ちてしまいかねませんが、軸を持っている人は自分の考えを自分の言葉で伝えることが
出来るため選考での決定打となります。

 

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このように就活を終えた4年生にとって振り返ってみれば”軸”というものは
就活においてとても重要な役目を果たしていました。

自分なりの”軸”を見つけること・探すことを怠らずめげなかった人が
就活をうまく乗り越えられるのではないでしょうか。

問題を自分で見つけ、自分なりの答えを見出さなければならない超難題ともいえる
作業ですが、これから就活をはじめる3年生にはぜひ自分の”軸”と向き合う時間を大切にしてほしいです。

就活を終えた4年生に、効果的な就活の準備、乗り越え方を聞く(後半)

 

 

就活を終えた4年生に、効果的な就活の準備、乗り越え方を聞く(後半)

 

 

会社を見切るポイント、前に進めるポイントは?

 

 

~ この会社はないなという見切るポイントはどういうところですか? 

 

柳原:人で皆判断していますね。私が断ったケースは、人事兼営業の人がいた会社だった。あんまり中小企業なので、人事だけの人ではなくて、その人がいて、社長さんもいた。その社長さんの方の言葉には響いた。なんだけど、もう1人の社員の方すごく浅かった。

どういう事を先輩から学んだかとか聞いたとき、その人が尊敬している先輩のやっていることがどうもちゃらんぽらんに聞こえて。私からすれば、この人が先輩になるのか? 違うと。社長さんはすごくいい人だけど、社員さんがちょっとなと思っちゃった。そこでお断りしました。

でも内定した企業さんの方は、人事ではあったが、かなり私の心を掴んだ人だった。そのまま進もうとなった。働き方が魅力的だなっていうのがあって、その人自自身もすごく魅力的に感じたんですけど、この人を上司にしたらとか、それ以上にその人のやってきたことに憧れというか、その人は、社長の秘書を5年やって、人事部の他の部署の営業部の会議に出て、勝手に意見言って、そしたら「それいいですね!」と意見が通ったらしい。自分も上から言われた事だけじゃなくて、自分もやりたい事を発信してできるような環境に自分でしていけたと。

あっ、そういうのが自分次第でできる会社なんだって思った。自分次第で周囲を動かせる働き方がしたいなって、お客さんとたくさん触れ合いたいというよりは、一緒に働く人とたくさん触れ合いたい。私のサークルでも3人でミーティングしてるよりも10人でミーティングしてるほうが楽しい。

その会社の面接のときもガラス張りで他の社内ミーティングの様子が見れて、それは部署を超えて議論しているらしく、すごく魅力的だなと。それを聞いた時に、ああこういう働き方ができる会社なんだなと。そこから選考が進んでいって、もう毎回、他の会社も含めた選考の中で振り返ってみると、他の会社が選択から落ちていった。

反対に、大手企業でありがちなのが、一方通行。集団面接。ありがとうございました!というパターン。説明会の段階では企業はいろんな魅力を伝えてくるが、その後は企業側は何の魅力を伝えてこないっていう。更に面接官が「君はこういうところがいいから、自分たちはいっしょにこういうことがやっていきたいんだ」というようなことはまずないです。

一方、内定した会社の担当の方は毎回コミュニケーションがあって、1対1のとき、必ず向こうが勝手にしゃべりだすし、めっちゃ気軽に話してくるので、こちらもすごいアピールしていくことができた。求められているというより、より面接を進める段階で、お互いを理解しあえて、かつ更に思う、更に思うみたいな。より確実に、入社が適合していってるなっていうのが確信を持てた。安心感がありました。

一方通行だとやっぱりね。私にとってホントにいい会社と思え、私自身が、それは中小企業で、かつ人を大切にしてる会社だからやって、できてる事なんだなと思って、決まりました。

 

やりたいことがわからない人が多いが、軸はどう探せばよいのか?

 

~ 学生に対して、軸の探し方とかアドバイスをお願いします。

 

柳原:多くの学生は何がやりたいかよくわからない。6:4で、6割はわからない。でもあとの4割もどういう理由でやりたいのか、本当にやりたいのか、薄っぺらいのか、わかんないんですよ。やりたいこと自体、分かんないで受けまくってる人は6割ってことです。

で、そのやりたい事がわかんない人が、どうやって軸を探すかっていうと、私の場合は、その会社で働いてる人たちにやりがいを聞いたりとか、どういう目的で仕事をしているのか聞いた。最初、何回かいろんな業界を見てて、ITの業界の人たちは、革命を起こしたいとか、結構大きな目的があって、壮大なビジョンを話されることが多い。

でも、私とは全然違うなと共感できなかったし、自分がそのIT業界にいく理由を見つけられなかった。IT業界違うのかなと思って、やめました。

じゃ何が軸なんだろうなと思って、飲食業界の人の話をきいて、笑顔にしたいというのはなんだろうと考え始めた。その時、エネルギー業界も見たんですけど、モチベーションは何ですかと質問すると、ぶっちゃけお金とか。それは正直でいいんですけどね。

で、強いて言えば、あらゆる人の生活の基盤を支えてるということらしい。人の基盤、土台になりたいかっていうと、それも違うなと思った。自分に1番近い人達のマイナスをプラス、プラスをさらにプラスアルファにすることを私はしたいなっていうこと。それを提供するのが私は、笑顔にしたいっていうのがあったので、そこにはまる企業は「そうですね。」とか共感をもてイメージできるという事が多かった。

 

~ 後輩の学生に対して具体的にやっておくといいことについて教えてください。

 

柳原:どうやって軸を探せばいいか?についてお薦めしたいのは、自分が頑張った事を記事にしておく、言葉に残しておくてっていうのは大事。就職活動する時に、過去を振り返る。大体、大学時代に力を入れた事はいざとなるとなかなか思い出せない。その時、思い出す材料になる。

私の場合は、2年生の時の活動をHPに載せていて、それを全部かきあつめたり。あとは学生団体でFacebookに毎回イベントの様子を載せていたのでその時の苦労とか、何が1番楽しかったのかと鮮明に思い出せる。

実は、その時は結構具体的な工夫をしたりしているわけ。そういう工夫を思い出したり、探ったりして書けたなっていうのがあったので、自分でがんばった事を記事にまとめておく、言葉にしておく。自己分析する時や、エントリーシート書く時にも鮮明に思い出せるので大事かなと思いました。

軸探しについても、自分が何したいか分からない人の軸探しはどうすればよいのか?大学の課外活動は、軸に繋がるんじゃないかと思っていて、私がやってる事もボランティアや復興支援じゃないし、日本文化の知らない部分を発見し、情報発信していこうというもの。そもそも自分が頑張れたところじゃないと、軸にしても語れない。何をやりたいか分かんない人は、自分が頑張れたことの要素を出していく作業が必要かな。

高校までだと自分ができる事が制限される。大学生活は自由なので、ボランティア、サークル、バイト その中で、自分が力入れたなと言えるものがあるが、高校までの過程は、自己PRに使う性格的なところで分析はした。人の意見に惑わされないとか、割と胆が据わってるはずだと。そういう要素があった。

母親に話を聞いたりとかして、私幼稚園の時どうだったか聞いた。ああ性格的にこうなんだと認知できた。自己PRもいろんな自己PRの仕方がある。母親の話をきいて、高校生より前の自分らしいを発見する。

あと私、おばあちゃんに話を聞きましたね。おばあちゃんにお母さんどういう人だった? 母親に私の話を聞いたうえで、さらにおばあちゃんにお母さんどういう人だった?と聞いていくと、感覚でしっくりきました。というように、自分のPRにつながるようなことを普段から意識していると、うまく材料が集められていくと思いますね。

 

~ なかなか、先輩にかしこまって聞きづらいこともあったのですが、いろいろ丁寧に具体的なアドバイスありがとうございました。

 

柳原:今お話ししたことは、ほんの一部なので、また困ったら聞きに来てください。

 

就活を終えた4年生に、効果的な就活の準備、乗り越え方を聞く (前半)

 

 

就活を終えた4年生に、効果的な就活の準備、乗り越え方を聞く(前半)

 

ほとんどの大学生にとって最も大きな関心事の一つが就職であることは間違いない。

3年生の多くは毎年、夏になると焦り始め、周囲の動きを気にしながら、情報収集の取っ掛かりとして、短期インターンシップへのエントリーを始める。

毎年の恒例行事ではあるにしても、もっと効果的に就職につながる活動方法はないのだろうか?

今回、当社の学生記者が、すでに第一志望企業に内定を得た4年生にインタビューした。

 

語り手:法政大学4年 柳原 千尋さん

 

就活にあたっての企業の見方

 

 

~ これから僕らは就職活動を意識して学生生活を送らないとなりませんが、すでに、就活を終えられた先輩にぜひお話しをお伺いしたいと思います。自分も含めて、みんな未経験の分野でかなりわからないのではないかと。4年生から見て、3年生が見えていないと思えるところはどんなことでしょうか?

 

柳原:3年生がわかっていること、わかっていないこと。こうしたらいいっていうのは分かるけど、これは分かんないみたいな。あるいは、就活で、これならこういうふうにすればいいっていうのは知ってるみたいなものはありますか?

 

~ インターンシップなどに積極的に行って、とりあえず行きたい会社が決まったら、どんどん情報を集めてくるっていう事と、相談しながら、ちゃんとエンリーシートなどにアウトプットしていけるようになるっていうのは分かります。あとは、例えば財務情報を見て、あまりにもやばい会社には行きたくないですし、業界とか見てて世間的にあまり将来性がないって言われているところは外すようにはしてます。

 

柳原:そのIR情報はもう見れるのかな?

 

~ そうですね、IR情報は上場企業だったら公開してますし、IR情報の正しい使い方はよく分からないですけど、消去法で落とすスクリーニングに活用してます。例えばある業界に行きたいってなったら、その業界の企業の財務諸表を見て、利益率が異常に悪いやつとか異常にいいやつとかは抜くようにしてます。

 

柳原:確かにね。その現状の把握っていうところで切る切らないっていうのは多分できると思うんだけど、その現状だけじゃなくて、これからこういうことにお金を使いますとか、これからこういうところを伸ばしていきますみたいなのも書いてあるじゃん。そういうのはかなり就活の選考では使える分野で、会社のビジョンに自分で共感できるためには、そのビジョンを知らなきゃいけない。

会社のビジョンっていうのは、すごい大きな意味でいうと、企業理念だけど、それを具体的に将来10年後20年後にこうなっていきたいっていうのは、長期計画書みたいなのに書いてあって、それを見て、自分がどれをやりたいかな、なんでこれをやりたいのかな、って考えたりするときにに使う。

 

~ へ~ 、そういう使い方があるんですね。

 

柳原:使っている人がどれくらいるのかは、他の4年生に聞かないとわかんないんだけど。私はそれを見て、ああこういう会社になってくるとするならば、私はこの分野をやりたいとか。で、なんでこの分野をやりたいかっていうと、今私が大事にしてるところはこういうところで、こういう世の中にするところに共感できたからっていうのを結構考えて話すようにしているよ。

 

~ こういう世の中にするですか?

 

柳原:それは大きすぎるけど、共感できるかどうかという話。将来に共感できるか、目指してるものに共感できるかということかな。

 

 

志望動機と自己PRは重要

 

~ 企業にこちらから伝えるのはどんなことでしょうか?

 

柳原:実際に企業にこちらから話せる機会は少ない。志望理由と自己PRくらい。なので、ここをうまく話せばいけるっていうのが大体の流れ。イメージ的には、例えば環を二つ書いてみて、そのうち左は企業が求めること。右は自分が求めること。この両方が交わるところあたりを強調して話す。

左だけ話してもだめだし、右だけ話してもだめで、この交わっている部分を話せてるか。それを他の人に、聞いてもらってフィードバックをもらう事で、自分がどれくらいのバランスでしゃべっているのか分かるっていう。

また、さっきの2つの環の下に、別に環を2つ書いて、左が理論の環、右が感情の環とする。そのバランスをみて話すということが重要。私の場合は右の感動を重視する。映画を観てて、シーンにめっちゃ感動する。泣きたい時は泣く。

でもこっちの人は、ジョージ・クルーニーが出てるんだよとか、アカデミー賞ノミネートしたんだよとなる。人によって、どちらに影響受けるのかが違う。面接官によっても、対応を変えたほうがいいよね。面接官の人で左(理論)の人がいたら、かなり、左寄りに話す。

それに合わせないとダメで、そのうえでどっちの要素もバランス良く会話に取り入れないといけない。で私だったら、感情的になりやすいから、なるべく左を意識して話すようにしたり、第三者が聞いて大丈夫だよと言われるレベルに仕上げる。

左のバランスと右のバランスを保ちながらエントリーシートを書くことが重要。重視してやるっていうのが大きな枠組み。10社くらいやっていったらわかる。最初は絶対わかんないね。

 

~ それは誰が教えてくれたのですか?

 

柳原:重電メーカーのインターンシップで自己分析するっていうのがあったらしく、それを友達から聞いたので私も若干意識してた。でも、話そうと思っていることを実際には知り合いの社会人の人に相談すると、それはあなたらしくないとか、それは違うと思うと言われたり。例えば私はその時の自己PRで、私は人の気持ちが分かる人間ですとかそういう感じのもの、その具体例を書いたんですよ。そしたら、その具体例もあなたのエピソードとしては、もっといいものあるでしょと。

めっちゃ考え直して、もっと私らしいのが表せるのではと。結局サークル活動になったんですけど。とかっていう話になって私の場合は右上(自分が求めること)が薄かった。企業よりではなくて、自分寄りに戻すには人に私の話を聞いてもらって、私の事を知らない人でも、私の魅力かどうかが分かるというレベルになるまでフィードバックをもらって、ここにどんどん近づけるようにしていったというのが私が就活を終えて、見えなかったものが見えてきたタイミングです。

 

~ その手ごたえはどの瞬間に感じたのですか?

 

柳原:エントリーシートがバンバン通るようになってからです。

 

~ エントリーシートは何通くらい書くものなんですか?

 

柳原:私は20くらいですが、みんな50くらいやってますね。手書きもあるし、パソコンもあるし、その場で履歴書を出すっていうのもある。

 

~ 最初何通くらい書いていたのですか?

 

柳原:落ちたのは少ないんですけど、出す前にさっきの社会人の人に見てもらって、いっぱいダメだしをされました。

で、最終的に出して、大体15社くらいは通ったんですが、特に手ごたえを感じ始めたのが、エントリーシートの通過が困難な企業群に通った時。それが5月の下旬くらいが締め切り。それまでに、たくさん出してるし、1番最後のエントリーシートは、今までの中で1番難関のところ。そのレベルでも当たってるんだなっていう感覚がかなりありました。

最後は、食品業界に絞ってたので、求める人材が似ていて結構考えやすかったっていうのもあるが、理論、感情の部分がちゃんと伝わるかとかっていうのをまず自分でチェック。それを人に見てもらう。何をチェックすればいいか、こういうプロセスを経て自分で分かるようになった。やはり、第三者の目は重要だと思うよ。

 

 

 

軸のみつけ方

 

~ 自信を持って、もし就活前の学生さんたちに対して、これをやっておいたほうがいいよという事を伝えるとしたら、もし就活前に戻れるとしたら、どういった事をやろうと思いますか?

 

柳原:よく、先輩たちに言われてたのが、自己分析をちゃんとしたほうがいいということ。そこで、質問に答えていくと自己分析ができるというツールがあって、その何百問っていう質問に答えてやってみた。

でも、友達と見合わせてみると、友達も、結構似たり寄ったりの分析結果が出ていることが分かった。つまりどんなインプットをしてもアウトプットは結構似ているというか。ちゃんとした自己分析って何なんだろうと疑問になった。行きたい会社に行けた先輩に聞くと、自分の軸を見つける事だよと。自分の軸を見つけるって何?みたいな、そんな短期間で見つかるんですか?

でも私の中で、私の軸、何をしたいかっていうのは見つからなかったんですけど、どういう環境で働きたいかっていうのは見つかった。それはチームで働きたいということで、私はチームでアイディア出したりする環境が整っている会社がいいなっていうのがあって、それが最初に見えてきたことですね。

 

~ それが見つかったきっかけは?

 

柳原:やっぱり軸っていうと、自分が何をやりたいのかっていうのを相談していた社会人にめっちゃ聞かれて、何やりたいのっていうのが軸なんだと思った。で、私は何をやりたいんだろうみたいにめっちゃ考えたんですけど、人々が笑顔になる仕事がしたいとかしかなくて、まだぼんやりしてる。結構どの業界にもあてはまるし、どっちかっていうとそれよりももっと大事な軸って考えていくと、それ以上になんかやりたいことは人を笑顔にするということしかなかった。

私の友達は国際インフラをやりたいとか超ピンポイントで探していた。私はそうしかなかった。それはそれでいいんですけど、更に絞り込もうとするのは、私の中では輪郭を描ききることができなかった。考え続けてはいたんですけど、今後の人生の大半をそれぐらいのピンポイントで私のやりたいことは、今は見つからない。

今私の中にあるのは人々を笑顔にするというふんわりした輪郭しかない。これはこれでいい。他の軸があるのか探そう、自分が譲れない部分 何をやりたいかじゃなくて、どうやりたいかは明確に持っている。それを明確に持ってたのはサークルで代表をやらなきゃいけないことがあったから。

仕事って多分そういう時が大事なんだろうなって思っていた。皆でミーティングをする、そのわくわく感が重要。私は多分こういう環境だったら、何をやってもやっていける。人々を笑顔にしたい。誰かと一緒に仕事をするその環境の雰囲気みたいなのは、結構私の中で重要。

うまく伝えられないんですけど、その面接とか説明会とかで、ここは、会話してるって思えた会社は、明確に自分がその会社でミーティングしてるイメージがついたので絞り込んでいった。軸が見つかった上で、どういう環境だといいかっていうのが具体的に見えてきた。

 

~ その後に今内定した会社と出会うまではどういう変遷をたどっているんですか?

 

柳原:軸が見つかったのが、結構3月の後半、4月の頭ぐらいなんですよ。私は3月の時点で5社くらいにエントリーして、その時はホントに何の軸もなくて、出会ったからみたいな。規模感は大企業でないくらいがいいとは前から思ってた。軸と条件は違っていて条件というのは、絞り込むためにある。条件さえあれば一応エントリーはできる。それでとりあえずエントリーしてたんですけど、軸が決まってからは、自分がかかわる事で、自分が人に笑顔を与えられるという観点で選び始めた。

最後は、食品業界とか見てきたんですけど、どうもはっきりしなくて、相談に乗ってもらっている社会人に、ならば余命1年しかなかったら何やる?と聞かれた。私が窮して、思いつくイメージとしてカメラマンになりたいかな?と言ったら、たまたま知っているカメラ関係の会社があるということになって紹介してもらった。この会社もチームでやっていて、人に笑顔を与えるものだなと思ったので、巡りあった感じかな。

 

~ それはどの瞬間に思ったのですか?

 

柳原:HPを見た時です。

 

~ どのワードに響いたのですか?

 

柳原:社長の企業理念を見たんですけど、その時見てた業界の他の会社に比べて、すごく使わないワードを使う会社だった。勇気と誠意、愛とか夢を広げるとかそういう感じの事が書いてあって、おー不思議だ。言葉が丁寧で、どちらかというと固くない、柔らかい印象。私の感覚ですごくフィットする言葉だったので、おーと思った。

私がサークルで1番学んだ事が、人に対して誠実でかつ勇気を持つという事。いろいろあったけど、社会人に対しても、誰に対しても誠実で、誠心誠意話さなければいけない。話すためには、自分の意見を言うために、働く上でこれはかなり大事。あー分かるーってなった。そこからこの会社説明会いこうと思って、そこをぽちっとした。