刀匠秀平氏、刀とキャリアについて語る

 

刀工銘:秀平(ひでひら)、本名:根津 啓(ねづ けい)氏は、国内で約200人の刀工の中でも、さらに50人しかいない刀専業の刀鍛冶でいわばプロのプロ。刀のコンクールでは経済産業大臣賞など多くの賞を受賞。

高校生のとき名刀 観世正宗(かんぜまさむね)と運命的に出会い、その瞬間、刀鍛冶になることを決意。大学では、刀に関係する材料工学を専攻するなど、技能一辺倒の職人ということではなく、理論的な素地も修得した。刀作りは修行の一環という氏の話は職業観としても深い含意がある。

今回、学生のキャリア教育のため、スキルアップの本質を学びたい学生や、技を極めるスペシャリストを目指す学生のために、刀作りの道とキャリアについて語って頂いた。

 

刀について

 

今、長野に仕事場があり刀鍛冶をやっています。もともとは東京都出身なのですが、父の転勤で札幌に行き、そのまま北海道大学工学部で材料工学を修めました。

刀を作るにあたっては作刀承認という資格取得のプロセスがあり、その試験があります。合格すると、作刀して人に売っても良いことになります。そのため、長野県の坂城町というところで師匠について5年間修行しました。

刀工になったあとは4年間の御礼奉公があり、そのまま県内の長野市に仕事場を作りまして、初めて自分の炉に火を起しました。想像の通り冬は雪が深いんですが、結構田んぼも多くて、お米とりんごも採れるといった、自然に恵まれた静かな環境です。

 

日本刀の成り立ちについて

 

刀というと時代劇とかのチャンバラシーンのイメージが強いかもしれません。実際武器でもあるのですが、古来の三種の神器にも剣があるように、いろんな公事や信仰にかかわる場面でも使われたりしています。儀仗といって装束として身に着ける刀剣もあったり、将軍家に献上するとか、下賜されるとか、権威の象徴としての刀剣や、贈り物としての刀剣もあります。

このように非常に多様な活用のされ方をしています。一例を紹介すると、聖徳太子が帯びていたという節刀(せっとう)は摂政としての権威を象徴するものでした。聖徳太子の佩刀といわれている丙子椒林剣と七星剣は現存していて今でも博物館で目にすることがあります。

また、鎌倉時代からは、刃紋をしっかり見るための研磨も施されるようになってきました。そんな事からも武器としてだけではない刀剣の存在価値が分かります。海外の刀剣では、鞘に宝石をちりばめたりして装飾を施しますが、日本刀のように刀身に精緻な研磨はされていません。

刀身に実用のために必要な以上の研磨を施して、その刀剣に本来備わっている魅力を引き出して味わうというのは、日本刀独特の慣習で、日本だけの文化です。

 

刀づくりの職人たち

 

さて、日本刀を身につける時には様々な装飾が施された拵え(こしらえ)に刀身を入れ、それ以外の時には白鞘に刀身を入れておくという習慣が昔からあります。そして私たち刀鍛冶は、その刀身を作る専門職人なのです。つまり工程ごとに、いろいろな専門職人たちが連携して作刀していきます。

例えば、専門の炭を焼く人。鉄を熱するときには赤松の炭を使います。結構軽くて、風を送ると火力が強いのですが、すぐ燃えてしまうので炭を大量に用意しておく必要があります。

つぎに、刀身の素材となる玉鋼(たまはがね)をつくるのが、たたら師。「もののけ姫」にも出てくるのでイメージが湧くかもしれませんが、たたら製鉄と言って独特な作り方をします。実際に、私も島根の奥出雲町で操業されているたたらで生産された玉鋼を買っています。

それから、刀身の大体の形をつくるところまでは、刀鍛冶の自分がやるんですが、刃紋や地鉄が綺麗に見えるように研磨するのは専門の研師(とぎし)の仕事になります。彼らも修行しているんですが、研ぎだけで10年や15年の修行が必要です。

それから刀身彫刻師などもいまして、龍や梵字を彫ったりします。そのほかにも鞘師、鞘に漆を塗る塗師、ハバキという金具を作る白銀師。さらに、柄巻師、組紐師と言った多くの専門職人の手を渡りながら刀は出来ていきます。

 

 

刀鍛冶の仕事

 

いよいよ私たち刀鍛冶の仕事を紹介します。まず、たたら製鉄で材料ができるところから説明しましょう。昔のたたら場には炭がよく燃えるように人が踏んで、風を送る蹈鞴(ふみふいご)というものがありました。その蹈鞴を当て字でたたらと読むのです。

そのうちだんだんその製鉄する場所全体をたたらというようになった。粘土でつくられた炉に、木炭と砂鉄を交互にくべていって風を送る。三昼夜くらい続けてやるんですが、そのふいごを踏んでいる人を「番子」といいます。

当然、三昼夜体力は持ちませんので交代します。実はかわりばんこという言葉はここから来ています。三日三晩燃やして、やっと粘土の炉の中に、大きさが縦横畳1畳くらい、厚み20~30センチの「ケラ」と呼ばれる鉄の塊ができます。それを毎回炉を崩して取り出すのです。熱いうちに、そのケラを水の中に入れて冷やします。

で、そのケラの上に大きな鉄の塊を落として砕きます。これが材料となる玉鋼です。今の高炉では鉄鉱石とコークスを原料とし、2,000℃以上でどろどろに融けた鉄が出来ます。たたら製鉄は1500〜1600℃で、完全に溶けきらない状態。溶け切ってないので、ムラが残っている。ムラがあるから、鍛錬が必要になるわけです。私たちは、その砕かれた状態の玉鋼を材料として購入します。玉鋼の破面を目で見て、鉄質を判断します。

玉鋼は、鍛刀場の火床(ほど)と呼ばれる炉で、炭を燃料として少しづつ赤めては叩くという作業をしていきます。火床の横にはふいごがあり、中に弁がついていて、取っ手を押しても引いても、常に風が送れるようになっています。羽口と呼ばれる穴から風が出るようになっていて、鉄が融ける程に温度が上がるのは、穴の付近だけです。刀は長いので火床に入れながら、叩く部分だけを赤く加熱していくことができるようになっています。

さて、火床に火を起こすためには、炭が必要ですが、炭を買うと薪ぐらいの長さ、太さでそれを自分で切りそろえる必要があります。炭を大量に使うので、それが結構一仕事になります。大体1.5〜2cm角や3cm~4cm角に切りそろえるという作業をします。同じ大きさに切らないといけなくて、弟子入りするとまずこれをやることになります。昔から炭切り3年と言われていますね。

それで、この炭で熱しながら、刀をつくるわけですが、刀1本の重さは1kg弱ぐらい。これに対し玉鋼を10kgくらい使います。炭のほうは、大体300kg使います。

玉鋼の塊を先の火床で加熱して、真っ赤に熱して、水の中に入れて硬くする。固くしたものを割ってみて、割れ口を見て、刀身のどの部分に使うかをここで決めます。これらを鍛錬していくのですが、昔は7kgの重さがある向こう鎚で叩いていました。

向こう鎚の場合には、鎚を振り上げて、手慣れた人3人くらいで叩きます。今は 機械(スプリングハンマー)を使います。ある程度細くなってきてからは、手鎚で叩きます。次に、割った鉄を積み重ねて、和紙でくるんでから泥とわら灰を着けてそれを加熱します。空気に直接ふれると、炭素が燃え、そこだけ柔らかくなったりしますので、空気から遮断するという意味合いもあります。この工程を「積み沸かし」といいます。

積み重ねたものを加熱して、スプリングハンマーでそれをたたくと、ばらばらだったものがくっついて一塊になります。そこから長く伸ばして、折り返す、折り返してはまた、藁灰と泥をつけて加熱するというサイクルを繰り返します。最初の積み沸かしのときは、バラバラのものが積んであるだけなので大変なんですが、一塊になってからは、加熱する時に回したりできるようになるので楽になります。

ところで、この鍛錬時の加熱を「沸かす」と表現しますが、その意味は、鉄が溶けるちょっと前の温度になると、じゅくじゅくしゅわしゅわ沸いてるような音が聞こえるところからきています。

さて、鍛錬していく鉄の塊の固さは一様ではありません。刀は折れないように、刃先が固く、真ん中に軟らかい鉄が入っていて、棟側には弾力もあるという造りになっています。つまり、硬さの違う鉄を接合していくのです。この工程を「造り込み」といいます。

どうやるかというと、適切な硬さに作り分けておいた硬い刃の部分(刃鉄:はがね)と、側面にくる部分(皮鉄:かわがね)を、芯となる部分(心鉄:しんがね)に鍛接し、藁灰と泥をかけて沸かしながら徐々に延ばしていく作業です。一定の長さまで延ばしていくと、次は、刃の方を薄くする工程です。最初に、きちんと計算しておかないと、叩いてみて、ああ、細すぎたといっても戻せません。最初に仕上がりをイメージして、きちっと計算したうえで、1か所ずつ赤めては叩きというのを、二往復なり三往復なりします。

形ができると、全体を均一に赤くしてゆっくりと冷ます、「焼き鈍し」という工程です。灰の中につっこんで、ゆっくり冷ましていきます。これで組織が均一化されてくるのですね。焼き鈍し後の刀身の曲がりや捩れを取ってから、やすりとせん(工具)を用いて表面を整えます。

次が、「焼入れ」。刀身を赤めて、水にいれて急冷します。その時に、焼き刃土(やきばつち)といって、粘土、砥石の粉、炭の粉を混ぜたものを刀身に塗っておきます。これを刃先だけ薄く、他は厚く塗ります。薄いところは急激に冷え、厚いところはゆっくり冷える。これで刃先だけ硬くなり、刃紋ができる。研師が研いだ後の、仕上がりを大体見越して、刃紋がこういうふうになるだろうと、いろんな塗り方で調整していくのです。

焼入れが済むと、反りの調整をしてから曲がりを直し、それから鍛冶押しといって、粗い砥石で刀鍛冶自身が研ぎます。鍛冶押しで大体の形がきまると、その状態で研師さんに刀身を引き渡します。研師さんがある程度研ぎ進めてから、白銀師さんがハバキを作り、次に鞘師さんが白鞘を作って、それからまた研師さんのところに戻って、研師さんが刀身を研ぎ上げます。そうしてようやく一振りの刀が完成します。

 

刀匠の仕事の醍醐味は?

 

仏師さんは自然の木の中に仏を見出して彫るという話を以前にどこかで聞いたことがあります。仏師さんは、材料の木の中に元々いる仏様を感じていて、それを掘り出していく。刀作りもその仏師さんの仕事に近い要素があると思います。元々そこにあるものを顕現させるという意味では、刀の世界では研ぎ師さんがその役割を果たしています。

とすれば、私たち刀鍛冶は仏を宿す段階をやっているのです。これが刀鍛冶の醍醐味というか、この仕事の面白いところですね。鉄を練り鍛える過程で鉄に命を宿せたかどうか、その工程が面白い。上手くいったらいい刀ができる。

そしてまた、研師さんの研ぎ方によっても、魅力が十分発揮されることも、されないこともありますから、研師さんとのコミュニケーションが重要になります。

また、技術的には、鍛錬工程でも、造り込み工程でも、上手くくっつかず傷が出る場合があります。くっつけて伸ばしていくと、一流の人は当然傷が出ることが少ない。傷が出てくると、製品としては失敗です。上手い人ほど、失敗する確率は低いのですが、傷が出にくいやり方もないこともない。

しかし、傷が出にくい方法で堅実にというか、保守的にやっていると、面白い刀ができない。作風もありますが、とにかく攻めていくと結構傷が出やすかったり。そういう、攻めるかどうかのぎりぎりの繊細な調整が必要になります。

 

 

なぜ刀鍛冶を選んだのですか?

 

なぜかと言われると困るんですが、幼少のころから工具とか刃物に興味がありました。中学のときに、趣味でナイフの自作とかもしていて、日本刀にも漠然と興味はありました。高校生だったある日、日本国宝展があり、何か刀が出ているんじゃないかなと思い、観に行ってみました。その時衝撃の出会いがありました。名刀として伝わっているものには名物といって刀自体に固有の名前がついていますが、その中でも、正宗が作った観世(かんぜ)正宗という呼称がある一振り。その刀に出逢って、刀鍛冶になろうと決心しました。

直感的にその時に思ったのは、そういうものを作ることができる人間になりたいということ。刀だけに限らなくても、直感的にこうだなと答えが見つかるときがあります。その時点では理由は分からないんですが、後からその理由が分かってくる。私はそういうことが多いです。もっといいものがあるんじゃないかと思って探しても、ない。絵でも彫刻でも何でも、作った人の人間性が現れてくる。

その現れる人間性とは何かというと、根源的なのでなかなか言葉で表現できないような魂の色合い、質感みたいなもの。そういうものを実際に、古い刀を見ていても、今の刀を見ていても感じます。つまり私の場合、刀を見るときって結構人に会っているような感覚に近い。そういったものに惹かれたのです。

 

修行者のような心とはどういう心でしょう?

 

心って説明するのが難しいんですけれど、軸足と言うとわかるかと思います。普段の考え方、感じ方の軸足がどこに置かれているか。自分がどう思うかという軸足と、自分が読み取った道理のようなものがあってそれを読み取るという軸足は、基本的に違う。自我の取り扱い方が違うんですね。自分はどう思うかで動くのと、道理に従って動くのでは大きく違います。

例えば、読み取った道理に従うというところに軸足があると、仮に苦しい道であっても適切な方向であると思うならば、その苦しい方に行きます。でも反対に軸足がある人、自分がどう思うかを軸にする人だと、痛いのは嫌なのでそういうことはしない。修行者のような気質というのは、そういうニュアンスで言っています。

逆に、自分がどう思うかを軸に動く人だからこそなし得ることというのもありますけれど。どちらにせよ、人間なので完全にどちらかに寄りきっているということはなくて、度合いの問題ですね。

 

修行というものに根源的な希求があったのはなぜですか?

 

ごくごく古い時代の金属加工業を担っていたのは修験者のような修行していた人という説もありまして、今の実感としてはしっくりくるものがあります。もともと修行はしたかった。世の中には武術もあれば、お坊さんの修行、気功の修行、いろいろありますが、漠然と修行というものに惹かれていました。

それで、いろいろ試してはみたのですが、これも違う、あれも違うなと思いながら行きついたのがヨーガです。普通ヨーガというと、ハタ・ヨーガと言って、ポーズをとるヨーガが良く知られています。実際にはヨーガはいくつもあって、エネルギーをコントロールするヨーガ、瞑想するヨーガ、礼拝するヨーガ、日常生活をしながらのヨーガ、熟考するヨーガなど沢山あります。

生き物には輪廻があって、いろんな事を勉強し終え、その輪から卒業しましょうというのが大体のヨーガの最終目標です。経路がちがうだけで、皆そこを目指している。要は、山頂があって、登山口が色々あるわけです。私の場合はこれが合っていた。もとは、この修行によって、車の両輪のように刀を作ることにも活かされたりするかなと思ったんですけど、修行が侵食してきて、刀を作ることも修行の一部となっていった感じです。

 


 

人間として、古の名工たちに近づくこととは?

 

実際に昔の刀工が修験者のように修行していたかどうかは別として、今と生き方自体、生活自体が違いますよね。昔は、生き抜くために繊細な感性が必要不可欠だったろうし、鋭敏な感覚を持ち合わせていたに違いありません。専門職だと普通に生活していたよりも、さらに鋭敏な感覚が必要だったと思います。また、そういう感覚を持っていると、精神構造も変わってくると思う。

想像しかできないですが、私自身が修行していて、感覚のレベルが近づけば、名工であったその人の個人的な性格までは分からないにしても、精神の在り方がある程度こういう方向に向かうといったようなことは感じられるのではないかと思います。具体的にどのような人間だったかはわからなくても、昔の人たちの精神の在り方の方向性が分かれば、それで良いのです。

 

職人としてどのような自分になっていきたいか?

 

職人として、技法を練り続けたいと思います。ベースには修業先で習った作刀方法がありますが、その技法の中で上手くなるだけではなくて、繊細な感覚を駆使して、やり方自体を変える。ただそれは、1個変えると、そこだけ変えるだけじゃすまないことがいっぱいある。全体のバランスがくずれて、あれがおかしい、これがおかしいとなる。ちゃんと物を完成させるならあっちもこっち変えなきゃと付随して変えることになります。

例えば鍛錬回数だけ変えましたでは、それだけですまない事が多いのです。そういう意味で技法を練っていくなかで、道理が見えてくる。道理を繊細に覚知し、また更に技法を練るといったサイクルを続けられるような職人になりたいですね。

 

今職人になりたいという学生に対して何かアドバイスを

 

まず、情報収集は大事です。良い弟子入り先を探すことが重要。どこに弟子入りするかによって、半分きまる世界です。会社も同じだと思いますが、けっこうしっかり調べたほうがよい。あとはまあやってみないと分からないとは思うんですけど、いろいろ調べたりして情報収集するとしないでは全然ちがいます。実際には大して調べずに弟子入りすることも少なからずあるらしい。

しかし、弟子入りしてもやめちゃうと、採った側も、弟子になった側も良いことはない。私の場合はあくまでも刀鍛冶になりたかったわけですが、例えばもし刀に関わる仕事をしたいということであれば、研師とか、鞘師とか学芸員とかそういう道もあるのです。まずそういったところも含めて情報を収集するのがいいと思います。

あとは、全日本刀匠会という団体があって、そこに弟子入り希望者の問い合わせが結構来ているそうです。でも、例えばメールでの問い合わせにしても、一般的な礼儀というか、書くべきことが書かれていないことが多いみたいです。ごく一般的な常識、マナーというものも重要ですね。

 

プロフィール

刀工銘:秀平(ひでひら)

本名:根津 啓(ねづ けい)

http://hidehira-jpn.com/index.html#Section-6

昭和58年 東京都出身

平成18年 北海道大学工学部材料工学科卒業

平成18年 宮入小左衛門行平師に入門

平成23年 作刀承認

平成24年 第3回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」初出品 金賞第2席 及び新人賞受賞

平成24年 第7回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第7席 全日本刀匠会賞受賞

平成25年 第4回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 金賞第2席受賞

平成25年 第8回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第3席 長野県教育委員会賞 及び新人賞受賞

平成26年 第5回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 銀賞第1席受賞

平成27年 第6回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」経済産業大臣賞受賞

平成27年 第10回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第11席 全日本刀匠会賞受賞

平成27年 長野市信更町に秀平鍛刀道場を構え、独立

平成28年 第7回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 金賞第1席受賞

平成28年 第11回 「お守り刀展覧会」刀身の部 第1席 岡山県知事賞受賞

平成29年 第8回「新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」 金賞第2席受賞

平成29年 第12回 「お守り刀展覧会」総合の部 第2席 山陽新聞社賞受賞

刀身の部 第4席 テレビせとうち賞受賞